現在では、ヨーガは健康法として体操の一種のようにみなされているが、本来は精神統一である。
yogaという語は、「つなぐ」を意味する語根yujから作られている。この語は、古く『リグ・ヴェーダ』では、たとえば祭りに心を「つなぐ」すなわち「専心する」などというように、積極的な行為を表すものとして用いられた。
しかし、祭式主義に代わる婆羅門思想として、サーンキヤ思想が起こると、そこでは散乱しようとする心や感覚器官を思惟機能が静めて「つなぎとめる」というように、精神統一の意味で用いられるようになる。これが、その後の「ヨーガ」の一般的な用法となった。静座し精神を統一して瞑想することがヨーガである。6)
断食など肉体をさいなむ行を伴うとき、ヨーガと苦行との区別は曖昧になるが、本質的には苦行と異質なものである。より精神的である。苦行においては神秘的な力、熱力の獲得あるいは発現が目指されるが、瞑想では真理の直観、悟りを得て、苦しみから解放されること(解脱)が目的とされる。7)
インドにおける瞑想の起源は非常に古く、インダス文明にあるのではないかと考えられている。インダス文明の遺物の中に瞑想を思わせる座像が描かれたものがある。
6)サーンキヤ思想は初期の古ウパニシャッドの思想を批判的に継承して生まれた。ブラフマン一元論とは異なり、精神的原理プルシャと物質的原理プラクリティの二元論を立てる。叙事詩『マハーバーラタ』を支えるのは、この思想である。今西順吉「サーンキヤ(哲学)とヨーガ(実修)」(『岩波講座東洋思想』第5巻)、135頁以下参照。【本文へ】
7)原実「ヨーガと苦行」(同上第7巻)、175頁参照。【本文へ】