広島県の瀬戸内海沿岸を走るJR呉線の観光列車「瀬戸内マリンビュー」。2両編成のディーゼルカーは外観・内装ともに改装され、海と船をイメージするデザインとなっている。大きめの窓から瀬戸内海の多島美を眺めることができるのはもちろんのこと、ブルーに塗られた車体の先頭には浮き輪とオールが取り付けられている。船のような円い窓から海を眺めた後、ふと目を下にやると、そこには沿線の海域が収まる海図「安芸灘及広島湾」を縮小したものが飾ってあった。海図も演出の小道具となっているのだ。いや、車窓を見ながら「あそこに見えるのは○○島」などと確かめることができるのだから実用性も十分ある。
呉線でも一番のハイライトとなる区間は、安芸幸崎―忠海間。線路の横は海。波打ち際を列車は走っていく。観光客の多くは瀬戸内海の美しい風景に目を奪われる。沖合いには、戦時中に毒ガス製造が行われ、「地図から消された島」として有名な大久野島が見える。そんなとき、波静かな海面の下に思いをめぐらせていたのは、乗客の中でも私だけだったろう。
海の上からは、海底の様子を見ることができない。たとえ、そこで大きな変化が起きていようと、陸にいる人が直接見て気付くことはない。そんな海底の地形変化を三次元コンピュータ・グラフィックスでビジュアル化することに、私は十年ほど前に取り組んだ。
三原市幸崎町から竹原市忠海にかけての沿岸海域(三原瀬戸)には、かつて能地堆と呼ばれる長さ数kmにわたる砂が堆積した地形があった。浅いところでは水深わずか数mで、藻場は海の生態系を育み、良い漁場でもあった。
瀬戸内海では、沿岸域の開発が進む中で建設資材用に海砂が採取されたが、この海域もそんな一つであった。1997年に採取許可の延長をめぐる贈収賄事件がきっかけで、許可された採取量・採取海域を越えての違法採取が業界ぐるみで行われていたことが発覚し、それまで地元住民・漁民から指摘されていた環境への影響(生態系の変化、周辺地域での海岸侵食)もマスコミで大きく取り上げられた。しかし、「水深が30m以上も低下した」という調査結果や水中カメラによる海底の映像が報道されているものの、そのような断片的な情報だけで、地形変化としての全体像が見えていなかった。
地図を見慣れた専門家などなら、海図に描かれた等深線を見ることによって、地形を把握できよう。しかし、多くの市民が皆そうであるとは言えない。誰でもわかるように視覚化することができないだろうか。新聞記者からのそんな相談がきっかけで、当時広島大学の大学院生だった熊原康博さん(現在、群馬大学講師)とともに、この海域の過去数十年間の海底地形の変化を視覚化することに取り組んだ。
私たちは、まず新旧2枚(1963年、1998年)の海図(「三原瀬戸及付近」、縮尺1/35,000)を手に入れた。海図には、5m、10m、20mといった航行の際の目安になるもの数本を除き、等深線が描かれていない。その代わりに、およそ数百メートル間隔で音響測深による水深が書き込まれている。ランダムに分布している標高(水深)点からDEMを自動的に生成する方法はあるが、数百メートル間隔で散らばっている点データだけから、コンピュータが詳細な地形まできちんと復元してくれるとは思えなかった。そこで、手作業で地形学的なカンを頼りに水深点の間を補い、5m間隔の等深線を描いていった。
そこから先は、市販されていた風景シミュレーション用ソフト「VISTAPRO」を利用した。VISTAPROの基本となるDEMの規格は、30m間隔、258×258グリッドの大きさである。そこで、三原瀬戸およびその周辺をカバーする約7.7km四方の区画を設定し、その範囲の等深線をスキャナーでパソコンに取り込んだ。それからDEMを生成し、三次元画像を描いた。
こうして作成した画像(鳥瞰図)から、三原瀬戸付近の海底地形の変化をとらえてみた。1963年の海図では、幸崎東方の沿岸から大久野島の東方沖にかけて、浅瀬が帯状に延びているのがわかる。これが能地堆である。また、高根島の近くにも三角形状の浅瀬が広がっていた。これらの浅瀬は、瀬戸内海の潮流の複雑な動きによって砂が運ばれ堆積したものであったが、海砂採取はここで行われていた。1998年の海図では、能地堆は跡形もなく消えて、高根島の近くの浅瀬もほとんどなくなっている。陸上であれば誰しも気付いて大騒ぎになるであろう大規模な地形改変が、海底であまり知られることもなく進行していたのである。
GIS的手法により描いた画像は、新聞やテレビを通じて多くの人々に海底の大変化を認知させることとなった。そして、そのようなことができたのは、海上保安庁によって何十年も前から黙々と作成・刊行され続けてきた海図のおかげであった。そんなことを思い返しながら、波穏やかな瀬戸内海を眺めた列車の旅であった。
このページは,ネクストパブリッシング発行の「GIS NEXT」第28号(2009年7月)に掲載された内容を,同社の許諾を得て転載したものです。 本ページを無断で転載することを禁じます。