法政大学多摩研究報告(2003)より抜粋
イセエビ心拍間隔ゆらぎのスケーリング解析
勝山智男1) ,2) ,矢澤 徹2,3),清野 健4),田中克典2),音川実5)
Scaling analysis of beat-interval fluctuation in the in-situ and in-vivo heart of spiny lobster, Panulirus japonicus.
Tomoo KATSUYAMA , Toru YAZAWA , Ken KIYONO, Katsunori TANAKA
and Minoru OTOKAWA
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1,沼津工業高等専門学校教養科 沼津市大岡3600
2,東京都立大学理学部 BioPhysical Cardiology Research Group 192-0397八王子市南大沢1-1
3,東京都立大学大学院理学研究科生物科学専攻 192-0397 八王子市南大沢1-1
4,東京都立大学大学院理学研究科物理学専攻 192-0397 八王子市南大沢1-1
5,法政大学社会学部生化学研究室 194-0298 町田市相原町4342
はじめに
太古,「秒」という時間の測定は,ヒトの心臓の拍動を測ることから始まったと言われる。それほどに,心拍は一定に規則正しくリズムを刻む。しかし,丁寧に観測すると,心拍リズムは環境や生理的状態,また心理的な状態などを反映して微妙に変化する。心拍リズムの変動は,拍動間隔を測定して、それを時間軸に対してプロットするとわかりやすい。こうしてプロットされた拍動間隔の変動には、緩やかに変化する成分もあれば、細かにすばやく変動する成分もある。これを統計的に見るには,フーリエ解析の手法が便利である。これまでに多くの研究者が心拍数ゆらぎをフーリエ解析し,このゆらぎが「1/fゆらぎ」という特徴的なゆらぎに属することを報告している。このことは,たとえば周波数10Hzのゆらぎ成分の強度が1ならば,周波数1Hzの遅いゆらぎは強度10,周波数0.1Hzのもっと遅いゆらぎは強度100になる,ということを意味する。生物にはいくらでも遅いゆらぎが存在するだろうが,それが,いくらでも強い強度を持ってよいということがあるだろうか?このこと自体不思議なことであるが,それを措くとしても,一見とらえどころのない不規則なゆらぎの周波数と強度の間に,「統計的には」このような明快な規則があることは注目してよいだろう。
この事実が、果たして、心臓が休まず拍動しつづけることや、脳が必要に応じて心拍を早めたり遅らせたりすることと、つまり心臓制御と、どんな関係にあるのか知りたいところである。1/fゆらぎは,生物以外の多くの物理現象(抵抗を流れる直流電流の微小変動や大気の流速ゆらぎなど)でも見つかっており,それらと心拍ゆらぎとは,ゆらぎをつくり出す物理的しくみにおいて,共通の何かを持っていると思われる。それを探ることは,心臓制御の仕組みを解明することにつながるだろう。心臓が人類の疾病や死亡原因と深くかかわる臓器であるだけに、心臓制御機構を物理的視点から探ることは意義深い。
ただ,心拍変動をフーリエ解析するには問題点がある。同じような状態にある動物の心拍変動をフーリエ解析しても1/fゆらぎが検出されたりされなかったりするのである。しかも,1/fらしきゆらぎが検出されても,それが物理系でみられるような「厳密な」1/fゆらぎかどうか疑わしいことも多い。こんなことになるのは,生体信号が定常的でないことが多いからである。1/fゆらぎは,スケーリング的性質と言う,特殊な性質を持ったゆらぎの種類に属し(注2参照),そのスケーリングの「指数」によって特徴付けることができる。スケーリング指数を調べるには,一般的にはフーリエ解析すればよいのであるが,信号が非定常な場合にはフーリエ解析は有効ではない。
非定常な信号には,非常にゆっくりと変動する成分,いわゆるtrendが含まれる。最近,このtrendを除去してスケーリングを調べる方法が開発された。Detrended Fluctuation Analysis(DFA)である。生物の分野では,DNAのモザイク構造(mosaic structure of DNA)の解析に適用されて注目されたが (Peng et al. 1994),心拍解析への応用例も報告されている(Peng et al. 1995, Bunde et al. 2000)。筆者らはこの手法をイセエビの心拍変動解析に適用した。
解析対象として,甲殻類イセエビを用いた。イセエビは,心臓を制御する神経が2種類3系統と,比較的単純であるため,心臓制御のメカニズムの本質を探る上で好都合である。我々は,イセエビを拘束して高ストレス状態においたとき,自由な状態にあるとき,および,心臓を摘出して生理食塩水でかんりゅうしたときの3つの場合についてECGを記録し,それぞれに対してDFA解析を行った。拘束時の心拍と摘出心臓の心拍は,フーリエ解析の結果(パワースペクトル)で見る限りは,ほとんど違いがわからないくらいよく似ている。ところが,DFAスケーリング指数αは,拘束時では0.7から1.0であったのに対し,摘出心臓ではα=0.50が得られた。後者は白色雑音を示すDFAスケーリング指数に等しい。本稿では,このDFAによる新しい心臓拍動解析の結果について,特に,拘束時の心拍と摘出心臓の心拍の違いに絞って報告する。
材料と方法
イセエビ(Panulirus japonicus)を静岡県下田市の漁師から購入し、海水循環恒温飼育装置で維持した。下田から東京への移送には4時間を要するが、海砂を口鰓部に含ませて、比較的低温を維持しておけば海水がなくても十分生きて移動に耐えられる。1ないし2週間ごとに生餌としてアサリ貝を与え自由に食べさせた。水温は約16度、pHは6.8程度、比重は1.0315から1.0330程度に維持され、長いものは一年間以上生存した。
ECG電極:クロム鍍金の真鍮製またはステンレス製の1.5 mmないし2.0 mm径で、1.0 cmないし1.5cm長さのボルトを、背甲に開けた細孔から心筋に接するまでねじ込み、誘導電極とした。この電極に細い多芯ケーブルを半田付けで接続し、接合部や露出金属部分で海水に接する面はエポキシ樹脂で封入した。エポキシ接着剤は電極の背甲への固定にも有効で、イセエビの体表面にある多くの刺状クチクラがその固定に効果を発揮した。ケーブルを水槽外のアンプに連結し、2本の電極からの心電図信号を交流増幅し、その出力をパワーラボ(ADI社、オーストラリア)で記録保存した。記録は通常1KHzのサンプリングレートで行った。パワーラボの最大記憶容量が512 MBで、温度モニター電極からの信号とともに同時記録するため、連続1日以上で記録を中断した。これより長い時間の記録は、サンプリングレートを400 Hzないし100 Hzにして採取した。こうして得られたデータから,n番目の心拍とn+1番目の心拍の時間間隔Tnの時系列を取り出した。この心拍間隔Tnは心臓活動の活動度を反映したパラメータのひとつである。しかし,その「横軸」であるnは,1拍目から通算した心拍の数でしかなく,実時間ではない。このため,Tnからは心拍の活動度が時間とともに変化する様子(動態)を直接把握するために,Tnを一定時間で再サンプリングした(詳細は,Yawzawa and Katsuyama 2001 参照)。こうして再構成された拍動間隔対実時間データをフーリエ解析し,パワースペクトルを得た。パワースペクトルは,時間とともに変動するゆらぎをさまざまな周波数の正弦波の重ねあわせとして表現したときの,各成分周波数の正弦波の振幅の二乗(つまりパワー)をその周波数に対してプロットしたものである。したがって,パワースペクトルから,ある周波数(または周期)の正弦波がどのくらいのパワーを持っているのかを読み取ることができる(注1)。一般に,ある時間尺度τで変化する物理量F(t)を,F(t)∝t aで表現することをスケーリング解析と言い,パラメーターaをスケーリング指数と呼ぶ。フーリエ解析は,スケーリング解析の有力な一手段である(注2)。
(注1)パワースペクトル
一般に,任意の周期的な波形は,さまざまな周波数を持つ正弦波の重ねあわせで表現できる。このことに基礎を置いて,時間とともに変動する「ゆらぎ」の中に,どのような周波数の波がどれだけ含まれているかを分析することをフーリエ解析という。フーリエ解析の結果は,周波数に対してその周波数の波の振幅の二乗(つまりパワー)をプロットしたグラフ(これをパワースペクトルと言う)で表現するのが一般的である。それは,この手法がそもそも電気信号を成分周波数に分解することに用いられて発展してきたからであろう。電気では電圧の二乗が電力,つまりパワーである。今では,パワースペクトルは,電気信号のみならず,多くのゆらぎ現象の表現に用いられている。
フーリエ解析は,周期的な波形に対する解析手法であるが,解析するデータの継続時間が十分に長ければ,周期的であるかないかは気にする必要はない。十分低い周波数まで考慮すればよいからである。また,データの継続時間がそれほど長くなくても,ゆらぎが次に述べるような性質を持つとき,すなわち定常的であるような場合には,やはりフーリエ解析は有効である。定常的な信号とは,原信号のある一部分の統計的性質(パワースペクトルも統計の一種である)が,別の一部分のものとも,また全体のものともほぼ一致する信号のことである。信号が定常的であることを想定して,われわれは,有限時間の信号のフーリエ解析から得たパワースペクトルを,無限に長い時間その信号を観測すると得られるであろう統計量として用いているのである。
しかし,多くの生物から得た信号(たとえば心拍数変動のような)では,原信号のある一部分の統計的性質(たとえば平均心拍数)と別の一部分の統計的性質とが,等しいとは限らない。それどころか,時々刻々,統計的性質が変化してしまうケースが多い。このような,いわゆる非定常信号では,有限な長さのデータをフーリエ解析して得られたパワースペクトルを用いて原信号の性質を議論しても,統計学上意味がないことになる。
(注2)スケーリング解析
部分と全体が同じ構造を持つことを自己相似性といい,自己相似な図形をフラクタル図形という。フラクタルというと,何か数学の遊びのように思われるかもしれない。しかし,数学的なフラクタル図形ほど厳密ではないが,自然界にフラクタル的な図形はたくさんある。カリフラワーの断面もそうであり,雪の結晶もそれに近い。乱流のような乱雑さの代表のような現象も,見るスケールを変えて,部分と全体とを比較すれば,統計的な性質はほぼ等しい。乱流を写真にとって,部分を適当に拡大しても,全体の写真とぴったり重なることはない。この意味で乱流はフラクタル図形ではない。しかし,部分の拡大写真と全体とは,乱れの様子はそっくりである。これは,分散や速度分布などの統計量がほぼ一致しているからである。このような性質を統計的に自己相似であるという。実は,ゆらぎ現象の中には,乱流のように,統計的に自己相似なものがたくさんある。生物でよく話題になる1/fゆらぎもその一種である。システムが大きくて複雑なときには,自己相似なゆらぎが現れることはそれほどまれではないが,ゆらぎがなぜ自己相似になるのかは,実はよくわかっていない。しかし,ゆらぎはシステムの動的なルール(力学)に従って現れるのであるから,ゆらぎの特徴は,システムの特徴の一面を表していると言ってよい。自己相似性は乱雑でとらえどころのないゆらぎ現象を記述する有力な方法の一つである。
自己相似性を特徴付ける性質に,スケーリング則がある。すなわち,ゆらいでいる信号f(t)が統計的に自己相似であるなら, f(t)をある時間尺度tで「見た」統計量F(t)には,F(t)∝tαの関係が成り立つ。この関係をスケーリング則という。指数αは,自己相似性を特徴付ける数である。たとえ,ゆらぎの分散や平均値が異なっていても,指数αが同じならば,同じ自己相似性を持っていて,そのゆらぎをつくり出すシステムも同じ種類に属すると考えて良い。このように,ゆらぎを,自己相似性という性質に着目して,スケーリング指数αで定量的に表現する解析方法をスケーリング解析という。
フーリエ解析は,信号をさまざまな周波数nの波に分解して表現するのであるから,フーリエ解析によって得られたパワースペクトルは,周期t (t=1/n)の時間尺度で信号を見た統計量をプロットしたものにほかならない。tの大きさをいろいろ変えて部分と全体を比較できるという意味で,フーリエ解析は,スケーリング解析の一種である。
スケーリングという言葉は,「さまざまな生物の体長lと体重wの間にスケーリングが成り立つ」などのようにも使われる。この場合,w∝llという関係が成り立つという意味である。指数lはスケーリング指数であり,この例の場合は3に近いであろう。この3という数字は,どの生物も立体的であるという,生物デザイン上の共通的特徴(当たり前すぎるが)を表現している。もし,「平面的である」という共通の特徴を持った生物同士で同様のスケーリング解析を行えば,lは2に近くなるだろう。このようにスケーリング指数は,そのスケーリングをつくり出す(図形の場合は幾何学的な,ゆらぎの場合はシステムの)特徴を記述している。
パワースペクトルとDFA解析
フーリエ解析は周期的信号あるいは定常的信号に対して適用できる(注1)。しかし,生きて活動している生物から得られる信号は,多くの場合非定常的信号である。非定常なデータに対してスケーリングを調べる手段として,DFA解析がある。
少々煩雑ではあるが,DFAの解析手順を述べる(図1)。n番目の拍動からn+1番目の拍動までの時間間隔(心拍間隔)をTnとする。このTnの時系列データ,すなわち,T1, T2,..., TN のセットを{ Tn }, (n=1, 2, ..., N)と書く。この{ Tn }が解析対象である。まず,心拍間隔の平均値< Tn >を求め,時系列{ Tn }から< Tn >を引いた新しい時系列{T'n}をつくる:
T'n = Tn - < Tn >。 (1)
つぎに,{ T'n }の最初からk個までを足し合わせたものをy(k)とおくと,y(k)は,
(k=1, 2, ..., N) (2)
と表される。例えば,一番短い足し合わせは最初の1個T1'だから,y(1)= T1',また,T1'からTN'まで全部足したら0になるから,y(N)=0である。
このy(k)を長さlの部分(sub series)に分割する。次に,各sub seriesごとに最小二乗法を用いてy(k)を直線で近似する。この近似直線をyl(k)と書く。この直線は,各sub seriesにおけるデータの推移傾向,いわゆるtrendを示している。もし,データの非定常性がこのようなtrendによるものならば,y(k)からyl(k)を差し引いた,
Δl(k)= y(k)- yl(k) (3)
は,定常的な時系列となるだろう。(もちろん,この操作であらゆる種類の非定常性が除去できるわけではない。)こうして,sub series の長さlをいろいろ変えて定常的な時系列Δl(k)を求める。もし,lが小さければ(つまり,sub seriesが短い),yl(k)はy(k)の良い近似になっているであろうから,両者の差であるΔl(k)はあまり大きな値にはならないだろう。しかし,lが大きい(sub seriesが長い)とy(k)と近似直線yl(k)とのずれは大きくなる。このずれの大きさは平均二乗偏差F(l)=(<(Δl(k))2>)1/2で評価することができる。この平均二乗偏差F(l)は, lとともに増大するであろう。このΔl(k)とlのスケーリング関係を調べるのがDFA解析である。スケーリング関係は平均二乗偏差F(l)=(<(Δl(k))2>)1/2を用いて調べる:
F(l)∝la。 (4)
αをスケーリング指数と言う。もし,時系列{Tn}が,白色雑音であるならば,y(k)はランダムウオークとなる。この場合のスケーリング指数は,α=0.50である。
F(l)は,心臓がl回打つ間に,どの程度心拍間隔がゆらぐかの目安になっている。しかし,心拍間隔ゆらぎが,心拍を打つ回数に対してではなく,実時間に対してどう変化したかの方が興味がある場合もある。その場合は,{ Tn }を等時間間隔でリサンプリングして(文献1参照),時間の関数T(t)を作り,T(t)に対して上述のDFA解析を行えばよい。このとき,拍動の数lを用いてsub seriesを作る代わりに,時間間隔tでsub seriesを作る。スケーリング関係式(4)は,
F(t)∝ta (5)
になる。このように,時間に対するスケーリング解析(5)によって求めた指数αは,パワースペクトルと関係付けることができる。すなわち,F(t)が(5)式のようなスケーリング関係を満たすならば,パワースペクトルも周波数nのべき関数で表されると期待される:
P(n)∝1/n b。 (6)
このとき,スケーリング指数αとパワースペクトルのべきβの間には,
b=2a -1 (7)
の関係が成り立つ。この関係式を使えば,たとえば1/fゆらぎの場合は,パワースペクトルのべきbが1であるから,a=1となる。本論文では,(5)式を用いて時間に関するスケーリング解析を行った。
結果
拘束時におけるDFA解析の結果得られたF(t)のtに対する両対数プロットを図2に示す。
両対数グラフがほぼ直線となることからスケーリング関係(5)が成り立っていることがわかる。グラフの傾きから指数αを求めた結果を表1に示す。αの平均値は約0.8であった。この値から(7)式によってパワースペクトルのべきbを求めると,b = 0.6となる。すなわち,拘束によって強いストレスを与えられたイセエビの心拍数ゆらぎが,1/fゆらぎに似た長時間相関を持つことがわかった。通常の1/fゆらぎは,無限に低い周波数(すなわち無限に長い時間スケール)まで続くが,本解析で,約1000 sまで続いていることが確認された。
表1 DFA解析によって得られたスケーリング指数α
|
|
α |
サンプル数 |
|
拘束時 |
0.8±0.2 |
7 |
|
摘出心臓 |
0.51±0.02 |
3 |
摘出心臓における平均二乗偏差F(t)の時間間隔tに対する両対数プロットを図3に示す。
グラフには2つの直線領域(すなわちスケーリング関係が成り立つ領域)がある。一つは,約300 s 以下の領域で,この領域におけるスケーリング指数αはほぼ0.5 であった。この指数は,白色雑音の指数と同一であることから,約300 s以下の比較的短い周期で変動する摘出心臓の心拍ゆらぎは白色雑音と言って良いことを示している。このことは,摘出心臓において見られる心拍数ゆらぎは,心臓に内在する制御機構により一拍一拍がある値の範囲内に収まるようになっているが,その値は全くでたらめに決められていることを物語っている。一方,300 s以上の領域にも,別のスケーリング領域が見られるが,これは,本解析で用いたDFAが,単に最小二乗近似直線すなわち1次関数でtrendを除去したことによる。trendを1次関数より高次の関数で近似して除去すれば,より広範な領域で,α=0.5のスケーリングが観測されることを確認した。
考察
心臓は単体でも動く。器械のポンプようなものである。生体内においては,脳がそのポンプをコントロールして,必要に応じて心拍を早めたり遅くしたりする。摘出心臓は,そのポンプの性能をそのままに近い形で反映していると考えて良いだろう。ポンプの使命は安定したリズムを維持し単調に打ち続けることである。それでも不可避的なノイズが混入するだろうが,理想的には,そのノイズには左右されずに,つぎの拍動を,もとのリズムで続けるようにプログラムされていることが求められる。そうなっていれば,ノイズは,心拍間隔を伸ばす方向へも,逆に短縮させる方向へも機会均等にやってくるだろうから,平均心拍間隔は,ノイズには左右されずに決まった値を保つことができる。摘出心臓の心拍間隔のゆらぎが,白色雑音と同じDFAスケーリング指数0.5であったことは,心臓ポンプが,それ自体で安定したリズムを維持することのできる,ポンプとしての理想的な能力を備えていることを意味する。
このポンプに,脳からの指令が加わると,拍動間隔のゆらぎの構造が一変する。長時間の「記憶」を持つようになるのである。ここで言う「記憶」とは次のようなものである。何らかの原因で,いま,拍動間隔が伸びたとしよう。次の一拍はどう打つか?心臓ポンプ単体の場合は,上で述べたように,即座に元の拍動間隔に戻ろうとする。しかし,こんどはそうならない。次の拍動間隔は長めになることが多いのである。つまり,拍動間隔が伸びたら,しばらく長い間隔が続く傾向がある。このことは,前の拍動間隔が長かったことを「記憶」している,と見ることができる。こうした「記憶」があると,ゆらぎに相関が現れる。もし,3拍までの過去を記憶しているのならば,現在の心拍間隔と3拍過去の心拍間隔との間の相関係数がゼロではなくなる。逆に言えば,現在と過去との相関(自己相関関数と言う)を見れば,システムがどのくらい過去の記憶まで保持しているかを見積もることができる。実は,スケーリング関係(5)が成り立つことは,相関関数がτ(現在と過去との間の時間)のべき乗,t-gの形で表されることと等価である。相関関数のべきgはg=2-2aで表される。a=0.8であることは,相関関数が,t-0.4のべき型であることを意味する。この関数は,グラフにしてみるとわかるが,きわめてゆっくりとゼロに向かう関数である。つまり,時間が経つにつれて,ゆっくりと記憶がうすれてゆく。あるところまで相関が(記憶が)あって,あるところから先はほとんど相関が(記憶が)なくなる,という関数形ではないことも注目に値する。この関数のどの部分を取り出してみても,同じ調子(時間が2倍になれば,相関が2-0.4=3/4に減少する)で相関が減少してゆく。こうして,相関が約1/10になるのに要する時間は約300sである。この関数形から言えることは,このシステムがきわめて長い記憶を維持していることである。これはもちろん脳の働きによる。脳がなければ1拍の記憶すらないのであったから。この,心臓制御システムが持つ記憶が,具体的にはどのような生理学的意味を持つのかは,まだよくわかっていない。今後解明すべき課題であろう。
なお,これまで,脳波や心拍変動で報告例のあった1/fゆらぎは,a=1.0のゆらぎに相当する。a=1.0だと,相関関数はt0となり,いくらtを大きくしてもゼロに落ちないことになる。つまり,いつまでも,無限の長きにわたって記憶が保持されるシステムの出力が1/fゆらぎだと言える。心拍間隔のゆらぎは,厳密な1/fゆらぎとよく似た特徴を持っているが,スケーリング指数において少し違うことが明らかになった。生物が無限の長さの記憶を持つとは考えにくい。a=0.8の,ゆっくりではあるが少しずつ薄れてゆく記憶を持つシステム。これが,スケーリング解析により明らかになった,拘束状態のイセエビ心臓制御システムの特徴である。
イセエビを拘束しないで,全く自由な状態で心拍を観察すると,心拍間隔時系列は拘束時とは全く違いon/off的となり,スペクトルの形も拘束時のものとは異なる。この状態におけるスケーリングについては,別の機会に述べる。
まとめ
イセエビにおける心拍数ゆらぎのスケーリング指数をDFA法により解析した。結果を,生きた動物を拘束した状態と,心臓を取り出してかんりゅうした状態とで比較した。前者のスケーリング指数は約0.8であり,長時間相関を持つ1/f-ゆらぎに似た,しかしスケーリング指数が少し異なるゆらぎであることがわかった。後者は指数0.50で,白色雑音と同じであった。この結果から,脳から切り離された心臓は,過去の心拍数によらないでたらめなゆらぎを示すのに対し,脳の制御を受けた場合は,過去の心拍数に依存した,いわば,「記憶を持った」ゆらぎを示していることがわかった。この記憶はきわめてゆっくりと薄れてゆく(∝t-0.4の関数形で)。このような長時間の記憶が脳−神経−心臓系のどこから来るのかを解明することは今後の課題である。
参考文献
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Peng, C.-K., Buldyrev, S.V., Havlin, S., Simons, M., Stanley, H.E. and Goldberger, A.L.; Mosaic organization of DNA nucleotides, Phys. Rev. E 49,1685-1688(1994).
Peng, C.-K., Havlin, S., Stanley, H.E. and Goldberger, A.L.; Quantification of scaling exponents and crossover phenomena in nonstationary heartbeat time series, Chaos 5, 82-87(1995).
T. Yazawa and T. Katsuyama ; Spontaneous and Repetitive Cardiac Slowdown in the Freely Moving Spiny Lobster, Panulirus Japonicus; Jounal of Comparative Physiology A187, 817-824(2001)