6. 法華経

 『法華経』は『妙法蓮華経』の略である。サンスクリット本は 27の章からなる。11) 各章の成立は年代が異なり、紀元後 50年から 150年にかけて成立したものであるが、全体として調和はとれている。

 巧みに比喩を用いて12)、文学的に大乗仏教の教理を説く。初期大乗仏典を代表するもので、古来多くの人々から高い評価と信仰を集めてきた。

 主な内容としては、大乗と小乗の対立を越えたところに統一的な真理があること(一乗妙法、いちじょうみょうほう)、ブッダが永遠不滅の存在であること(久遠本仏、くおんほんぶつ)、苦難を堪え忍び、慈悲の心をもって、利他の行に励むこと(菩薩行道、ぼさつぎょうどう)が説かれる。13)

 「一乗妙法」は、『法華経』前半の主題である。もっとも鮮明に現れるのは方便品である14)

 大乗仏教は旧来の仏教を小乗仏教と呼んでさげすんだ。小乗は声聞(しょうもん)と縁覚(えんがく)である。声聞は自己の悟りを得ることに専心する。縁覚あるいは独覚は十二縁起を観察してひとりで理法を悟る。かれらは大乗の菩薩のようには慈悲・利他の行を行わない。

 しかし、仏教を声聞、縁覚、菩薩の三つの乗り物に分解して説くのは、煩悩にくらまされた衆生たちを救済するための如来たちの巧みな方便である。すなわち、衆生の救済を誓願した如来たちは、さまざまな方便を説く。たとえば、戒・定・慧、塔の建立、仏像の作成、供養、礼拝、念仏、この教えの名をきくことなどもすべて、衆生が成仏できるように如来の説いた方便であるが、それらのどれによっても、正しい悟りに到達できるとする。

 悟りにいたる方法が方便としては分けて説かれていても、真実にはブッダの乗り物は、ただ一つで、第二、第三の乗り物があるわけではないというのである。この教えはまた「開三顕一」ともいわれる。

 「久遠本仏」とは、如来の寿命が無限であることを説くもので、如来寿量品をはじめとする『法華経』後半の主題である。

 釈尊は入滅したといわれるが、実はそうではない。無限の過去において悟り、それ以来無数の衆生を教え導き、無限の未来においても存在し続ける。しかし、入滅したと説かなければ、衆生たちは如来が常にいると思い、如来への思いが薄れる。そのようなことがないようにするため、方便として「如来の出現はきわめてまれである」と説き、釈尊は入滅したとされるというのである。

 「菩薩行道」は、『法華経』の中間部、法師品から如来神力品において強調される。そのうち、常不軽菩薩品には、理想の菩薩像が描かれる。

 常不軽(じょうふきょう)菩薩は、すべての人を将来如来になるものとして決して軽蔑しなかった。そのため逆に人々から軽蔑され迫害されたが、屈することなく菩薩行を全うする。

 『法華経』に特徴的なことは、『法華経』そのものへの信仰を説く点にある。たとえば、常不軽菩薩品では、この経典を奉ずる人には幸福がおとずれ、非難するものには災難がふりかかると説く。

 法師品や如来神力品では、法華経が受持、あるいは読誦、解説、書写、熟考されたところには塔を立てよという。その場所はすべての如来たちの悟りの座とみられるべきで、まさしくそこで如来たちは最上の正しい悟りをひらき、教えの輪を転じ、完全な涅槃に入ったと知られるべきだからである。

 いま自分の立つこの箇所が聖なる菩提の座になるという教えは、古来多くの人の心を打った。15)

 随の時代の中国において、智(ちぎ 538-597)は、数多くある仏典中で『法華経』を最上に位置づけ、それによって教理体系を統一して、天台宗を開いた。

 平安時代に最澄 (767-822) は入唐して天台宗を日本へ伝え、これを広めるため比叡山延暦寺を建立した。以来、この経典が日本に及ぼした影響ははかりしれない。


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 11) 松濤誠廉ほか訳「法華経」(『大乗仏典』第 4、5巻、1975、6年)  【本文へ】

 12)「法華七喩」といわれる。なかでも三車火宅の喩え(比喩品)、長者窮子の喩え(信解品)が有名である。 【本文へ】

 13) 田村芳朗『法華経』中公新書、1969年参照。 【本文へ】

 14)「方便品」は、今日でも鳩摩羅什(くまらじゅう、350-409年ころ)の訳でよく読まれる。特にその中に現れる「十如是」(じゅうにょぜ)は、あらゆる存在の真実のあり方(諸法実相)を表すものとして有名で、歴史的に大きな影響を及ぼしたものであるが、サンスクリット原典にはこれに直接対応する文句はない。【本文へ】

 15)熱烈な法華信仰者であった宮沢賢治はこの部分をメモに残している。 【本文へ】