沼田川下流平野の地形発達


1) 
コア中の火山ガラスは,屈折率が1.510〜1.512であり,また,アカホヤ特有の茶褐色を帯びたものが混入していること,バブルウォール型をしていることから,アカホヤ火山灰と同定した。

2) 
FeS2含有量は試料重量に対するFeS2重量の割合で求められる。したがって,砂と比較して同じ重量の割に表面積が大きい粘土ではFeS2含有量が高く算出されてしまう。これを防ぐためには分析に用いる試料の粒度をできるだけそろえる必要がある。白神 (1985) は1/16mm以下に粒度をそろえているが,本研究では,砂質の試料が多く,粒度を小さくそろえ過ぎると必要量が確保できない場合があることから,それよりもやや粗い200メッシュのふるいを用いて粒度の淘汰を行なった。白神よりも粒度にばらつきが生じるが,データを検討する際にそのことに留意していれば,海成層−陸成層の認定には支障がないものと考える。

3) 
白神 (1985) などの従来の分析例にならい,FeS2自体の含有量ではなく,FeS2に含まれるイオウの重量の試料重量に対する割合 (FeS2-S含有率) で表現した。

4) 
この地点では,2回試料採取を行なった。これは,1度目では十分な深度まで採取することができず,それ以深の試料を採取するために2度目を行なった。2地点間の距離は数mであり,静かな環境で堆積したシルト・粘土の層については,同一地点のコアとみなして分析結果の考察を行なっても支障はないものと考えた。

5) 
安芸国蓮華王院沼田本荘に市があったことは,いくつかの古文書資料における記述が示している。そこでは単に「市」という言葉が使われていることもしばしばあるが,「一所 小坂郷二百三十貫文 新市凡在家百五十 … 一所 安直郷二百貫文 本市凡在家三百土蔵一所」(小早川家文書) という記述から,沼田川沿いに2つの市が近接して存在していたことは間違いない。本稿では,この2つの市をそれぞれ「新市」,「本市」と呼び,また,両者を一括して「沼田市」と呼ぶことにする。
 なお,「本市」があったと推測されている付近には,現在,本市という地名 (大字) がある。本稿では,混乱を避けるために,この地区を指す言葉として「沼田東町本市」を使い,中世の「本市」については,適時「沼田本市」という呼称を用いる。

6) 
沼田低地を流れる小河川 (郷中川) の川床の約1m下から出土したもので,ムクノキをくりぬいた長さ6.9m,中央の幅0.9mの長大な丸木船である。これまで中世のものといわれていたが,14C年代測定の結果1,680 +130/-120 y.B.P. (HR-619) の年代値が得られた。

7) 
藤田 (1987) は,いわゆる新市 (小坂新市) のほかに,本市のあった安直郷にも新市 (安直新市) が存在したことを文献より見出すとともに,その一方で,現在の本市地区において,市が存在したと思われる2つの場所を求めている。この2つの場所のどちらが安直本市でどちらが安直新市であったかについて,藤田は結論を出していない。その理由は,北東側の紡錘状の微高地は,比較的面積の狭い短冊型の地割から新しい市場であると考えられる一方で,そちらには中世にまでさかのぼる寺院 (徳寿院) や神社 (沼田神社) が存在していることによるものである。しかし,本文中に述べたように,沼田神社は近世までの旧河道を埋め立てた上に境内がある。沼田神社が立地しているから歴史が古い集落であるという論理は,少なくとも成り立たなくなったわけである。


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