9. 人間観と無我説

 仏教は無我説を立てることで有名であるが、その思想内容は歴史的にかなりな変遷がある。それにともない「諸法無我」の解釈にも変化がみられる。

 無我説の始まりは、最古層の経典の執着するな、わがものという観念をすてよという教えにある。初期の無我説は、「我は存在しない」ことを説くのではない。倫理主体としての真の我の確立は、むしろ積極的に求められていた。

「常に思念をたもち、自己に関する誤った見解を捨てて、世界を空なるものとして観よ。そうすれば、死を超越したものとなるであろう。このように世界を考察するものは、死神には見えない。」(Sn.1119.)

 無我説はこのように、我(自己)ではないものを我(自己)であると思いこだわることをやめよ、という教えから始まる。当初の「諸法無我」は、無執着の立場から、「すべての事物は我(自己)ではない」と説かれたものである。したがって、無我(我がない)説というよりは非我(我ではない)説であった。

 ところで、現象するすべてのものは、なんらかの原因・条件に依存することによって成立しているという縁起の観点からすれば、それ自身独立で不変な存在はありえない。人間も、この縁起説の立場から理解された。すなわち、人間あるいは生物とは、肉体(色)と感受(受)・表象(想)・意志(行)・認識(識)の四つの精神作用、あわせて五つのものの集り(五蘊あるいは五取蘊pañca upādhānakkhandā)において成り立っているものとされる。

 「たとえば部分が集まって、車という名称が生ずるように、
  (五つの)ものの集りがあれば、生物という世俗の名が生まれる。」
                (Saṃyutta Nikāya I.p.135G.)

 ここには、現象の背後に実体的な存在を認めない唯名論的な見方が顕著に現れている。一方、ウパニシャッドの哲人たちは、宇宙原理ブラフマン(梵)と個体原理アートマン(我)という現象の雑多な相の背後に働く実体的な原理を立て、その同一性の知を追求した。原始仏教は、ウパニシャッドの立場と鋭く対立する。

 原始仏典のうち成立が遅いとされる散文では、人間を構成する五つのものの集り(五蘊)ひとつひとつについて「これはわがものではない」「私ではない」「私のアートマン(我)ではない」と知るべきことが説かれる。この表現形式は、ウパニシャッドのアートマン思想と密接にかかわることが指摘されている。1)ここでは、すべてのものについて「アートマン(我)ではない」と否定することが「アートマン(我)は存在しない」という主張を含んでいると考えられる。

 ところでアートマンは、単なる自己ではなく、それによって現象界の個体が成立する永遠不変の本質あるいは原理と見なされた。このような思想に対する批判として、「諸法無我」は、「すべての事物は我(永遠不変の本質)をもたない」と解釈されるようになる。一般に無我説という場合、このような意味が含まれる。2)


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1) 今西順吉「無我説における我の概念」(『印度哲学仏教学』第5号、1990年)39頁以下。【本文へ】

2) 中村元編『自我と無我』平楽寺書店、1972年、56頁参照。【本文へ】