マッカリ・ゴーサーラは、アージーヴィカ教の代表者である。彼は、ジャイナ伝説によれば、シュラーヴァスティーにおいて、ジャイナ教のマハーヴィーラと激しい論戦の後、没したという。その年、マガダのアジャータシャトル王が、ヴァッジ族に戦争をしかけたが、この戦争は、ブッダの最後を物語る『マハーパリニッバーナ・スッタンタ』に準備中として出てくる。1)これによれば、ゴーサーラとブッダは、わずか数年の違いで没したことになる。2) ちなみに仏滅年代には二説あり、前486年、あるいは前383年とされる。
彼の思想の特徴は厳格な宿命論にある。その説によれば、一切万物は細部にいたるまで宇宙を支配する原理であるニヤティ(宿命)によって定められている。輪廻するもののあり方は宿命的に定まっており、6種類の生涯を順にたどって浄められ、解脱にいたる。転がされた糸玉がすっかり解け終るまで転がっていくように、霊魂は転生する。それまで8,400,000劫(カルパ)もの長い間3) 、賢者も愚者もともに輪廻しつづけるという。
行為には、運命を変える力がない。行為に善悪はなく、その報いもないと考える。当時、支配的な思想であった「業」の思想を否定する。
運命がすべてを決定しているという主張を構成する論理は、およそ次のようなものである。
人が同じことをしても結果が異なることがある。行為以外の何かが結果を決定している。神はそれではない。神では結果の多様さ、特に不幸が説明できない。それは、(ローカーヤタ派が説く)自然の本性(スヴァバーヴァ)ではない。(仏教などが説く)行為の結果(カルマ)ではない。それは、宿命(ニヤティ)である。宿命と一致するとき、人は成功する。宿命のみが人の幸福と不幸を説明する。4)
「アージーヴィカ」とは、「命ある (jῑvika)限り(ā)( 誓いを守る)」という意味で、5)出家者には苦行と放浪が義務とされ、多くが宿命を読む占星術師や占い師として活躍したという。
宿命を説く一方で、苦行を義務づけるのは、一見したところ矛盾のようであるが、アージーヴィカにとって、解脱は「転がされた糸玉がすっかり解け終る」ことに喩えられるように、こころとことばとからだによるすべての行為が消滅することであり、それは、6ヶ月にわたって飲食を減らしていき最後は何も飲食せず死(最終解脱)に至るスッダーパーナヤ(清浄なものを飲む)と呼ばれる苦行において実現されると考えていたからである。6)
アージーヴィカ教はマウリヤ朝のアショーカ王とその後継者ダシャラタ王の時代に保護され、大きな勢力を誇った。アショーカ王の碑文(第7 Delhi-Topra碑文)に仏教(サンガ)、バラモン教、ジャイナ教(ニルグランタ)と並んで
この派の名アージーヴィカが出る。7) 当時、栄えていたことを推定させる。その後、衰えながらも、南インドのマイソールなどには存続し、14世紀までは続いたといわれる。
1)DN No.16 PTS vol.2, p.72.中村元訳「偉大な死」『仏典I』世界古典文学全集、筑摩書房、1966年、p.43
2)Basham, A.L., History and Doctrines of THE ĀJĪVIKAS, p.74.
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1ヨージャナは、古代インドの距離の単位で、牛車を引く牛が次の牛と交代するまでに進む距離とされる。1ヨージャナの換算については、2.5マイル、4ないし5マイル、9マイルなどさまざまな説がある。Monier williams, Sanskrit-English Dictionary, yojanaの項参照。
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5)Basham, ibid. p.103.
6)Viyāhapaṇṇattisuttam, Bombay 1978, p.722, An Illustrated Ardhamāgadhῑ Dictionary, 1923 (rpt. 1977) q.v. suddhāpāṇaya. 野沢正信「古代インドの宿命論アージーヴィカ教について」『印度哲学仏教学』第18号、2003年、pp.34-51.参照。
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参考文献
注
3)カルパ(劫)という時間の長さについては、定方晟『須弥山と極楽』講談社現代文庫、1973年、p.100.参照。1辺1ヨージャナの大きな岩を百年に一度、天女の衣でなでて、岩が擦り切れてなくなるまでの時間などとされる。
4)Basham, History and Doctrines of THE ĀJĪVIKAS, pp.230f. ちなみに、仏教のアビダルマでは、カルマが世界の多様性を生み出すとされる。Abhidharmakośa, ed. by P. Pradhan, Patna 1967, IV.1a, p.192: karmajaṃ loka-vaicitryam.
7)Hultzsch, Inscriptions of Asoka, Oxford 1925 (rpt. Tokyo 1977), p.131f.
Seventh Pillar-Edict: Delhi-Topra B.
25: esa kaṭe (x) devānaṃpiye piyadasi hevaṃ āhā (y) dhaṃma-mahāmātā pi me te bahuvidhesu aṭhesu ānugahikesu viyāpaṭāse pavajῑtānaṃ ceva gihithānaṃ ca sava ...ḍesu pi ca viyāpaṭāse (z) saṃghaṭhasi pi me kaṭe ime viyāpaṭā hohaṃti ti hemeva bābhanesu ā[j]ῑvikesu pi me kaṭe
26: ime viyāpaṭā hohaṃti ti nigaṃṭhesu pi me kaṭe ime viyāpaṭā hohaṃti nānāpāsaṃḍesu pi me [ka]ṭe ime viyāpaṭā hohaṃti ti paṭivisiṭham paṭῑvisiṭhaṃ tesu tesu [te] ...... mātā (AA)
Basham, A.L., History and Doctrines of THE ĀJĪVIKAS, London 1951 (rpt. Delhi 1981).
宇井伯壽『印度哲学研究』第2巻、1925年、pp.369-386.
金倉円照『印度古代精神史』岩波書店、1939年、第9章邪命外道、p.191-208.
中村元『原始仏教の成立』中村元選集第12巻、春秋社、1969年、第3章第3節ゴーサーラの宿命論とアージーヴィカ教、pp.79-102.
野沢正信「古代インドの宿命論アージーヴィカ教について 」 『印度哲学仏教学』第18号,2003年10月,pp.34-51.