1. ブラフマー(梵天)
ヒンドゥー教の神々といえば、まず筆頭に上げられるのがヴィシュヌとシヴァであるが、盛んに信仰された年代の古さを考慮して、最初にブラフマー(梵天)を紹介しよう。
ブラフマー(梵天)は、ブラーフマナ文献やウパニシャッドに説かれる宇宙の最高原理ブラフマンに由来する神である。ブラフマンは、祭式を万能とみなしたブラーフマナ文献の時代に宇宙の最高原理とされ、さらにはプラジャーパティにとって代わって宇宙万物の創造神としても位置づけられるようになった。そして、ウパニシャッドにおける梵我一如思想の核を担う原理として尊重された。このような後期ヴェーダ文献に説かれる宇宙原理ブラフマンが人格神とみなされ崇拝されるようになったのが梵天ブラフマーである。
ブラフマーは、原始仏典にしばしば言及される。1) たとえば、ブッダが悟りを開いた後、自分が悟った内容を人に語らないでおこうと考えていた。ところが、梵天が現れ、生きとしいけるものが苦しむありさまをまざまざとブッダに見せ、これら苦しむもんたちを救うために教えを説くことを要請する。仏伝の「梵天勧請」(ぼんてんかんじょう)といわれる有名なくだりである。2)
また、原始仏教では「慈しみの心・あわれみの心・喜びの心・平静の心」の四つの心を生きとしいけるものに対して無量に起こすことを勧める「四無量心」が説かれるが、その果報は「梵天の世界に行くこと」とされる。
梵天に対するこのような言及は、これらの仏伝や経典が作成された時期、梵天が盛んに信仰されていたことを反映するものであろう。これらとほぼ並行する時代と考えられる、『マハーバーラタ』や『マヌ法典』にも、ブラフマーは創造神として現れる。また、古代ウパニシャッドの中でも中期の成立とされる『ムンダカ・ウパニシャッド』には中性の宇宙原理ブラフマンとともに、人格神ブラフマーが説かれる。
「ブラフマーが神々の中の第一位として生まれた。万物の創造者として。世界の守護者として。
ブラフマーは、祭式やヴェーダの学問を司る神で、四つの顔、四本の腕の姿で描かれる。眠るヴィシュヌの臍から生えた蓮華の上に坐るブラフマーの像もよく描かれる。ヒンドゥー教の神々は普通、配偶神を持つが、ブラフマーの妃は、音楽、学問の女神サラスヴァティーである。
西暦紀元の始まる頃を境として時代が下るに連れて、ブラフマーはシヴァやヴィシュヌほどの信仰は集めなくなるが、トリムールティ説によって、かろうじて地位を保つ。こうした事情を反映してシヴァやヴィシュヌに多くの逸話が語られるのに対し、ブラフマーにまつわる逸話は少ない。仏教では護教神として取り入れられ梵天として崇拝された。
1) 原始仏典に言及されるブラフマーについては、宇井伯壽「阿含にあらはれたる梵天」(『印度哲学研究』第三、pp.63-202)に詳しく解説される。また、中村元『原始仏教の思想』上、春秋社、1970年、p.307参照。
彼は、ブラフマンの知をあらゆる知の基礎として、長男アタルヴァンに語った。」(Muṇḍaka Up. 1.1)
注