利他行を重んずる大乗では、それまでとは異なる修行法が説かれた。八正道は自分ひとりの安らぎをめざすものとして低くみなされた。それに対し、利他行をふくむ六波羅蜜をより優れたものとして尊重した。
六波羅蜜とは、布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ)の六つの徳目を完成させることである。4)
「布施」とは、与えること施すことで、財物を施すこと(財施)、教えを施すこと(法施)、安心を与えること(無畏施)の三種がある。
「持戒」とは戒律を守ることである。5)
「忍辱」とは苦難や迫害に堪え忍ぶことである。
「精進」とは実践にたゆまず努力すること。
「禅定」は瞑想による精神統一を意味する 。「禅」は、dhyāna あるいは jhāna の音訳である。一切を空・無相・無願と観ずる三種の禅定(三三昧)が基本とされる。
「智慧」は真理をみきわめ悟ることである。
菩薩としての誓願と自覚をもってこれら六つの徳目の完成をめざして行すれば、誰でも仏になることができるとした。
4) 波羅蜜(pāramitā)は到彼岸と訳されることもある。これはpāramitāをpāram(彼岸)+ita(到達した)と分解し、波羅蜜の修行によって、彼岸に到達できると解釈するからである。伝統的にはそのように解釈されてきた。しかし、本来はpāramin+tā(最上であること、完成されていること)の意味である。最近では「完成」と訳される。六つの徳目を完成させることをいう。 【本文へ】
5) また戒めも五戒にかえて十の戒め(十善戒)が説かれた。身体的な行いについては、不殺生、不偸盗、不邪淫の三、ことばの行いについては、不妄語、不悪口、不両舌、不綺語(意味のない無益なおしゃべりをしないこと)の四、心の行いについては、無貪(執着しむさぼらないこと)、無瞋(怒りにくしまないこと)、正見の三のあわせて十である。 【本文へ】