縄文海進時の地形景観シミュレーション

写真提供:沼津市

解説

 家が建ち並び,多くの人々が暮らす平野。 田畑が広がり,農業生産の場でもある平野 ―― この平野は,長い年月の間に川や海のはたらきによって土砂が堆積してできたものです。 とくに,日本の沿岸部に広がる平野の大部分は,過去数千年から1万年の間に土砂が堆積して形成されました。 では,その前は…?
 上の写真は縄文時代(今からおよそ6000年前)の景観を復元したものです。 氷河期が終わり,低かった海面が地球の温暖化とともに現在の高さまで上昇してきました。沼津市の中心市街地のあたりは,当時は海でした。狩野川沿いの地域(田方平野)も,伊豆の国市あたりまで海が入って内湾を形づくっていました。
 その後,狩野川や黄瀬川が洪水のたびに上流から土砂を運んできて内湾を埋め,また,富士川が海まで運んできた土砂も沿岸流によって沼津付近まで運ばれて千本浜をつくり,現在の沼津の街が広がる平野ができたのです。


 この画像は,沼津市提供の写真をもとにフォトレタッチソフトで加工して作成したものです。 写真をご提供くださった沼津市役所にお礼申し上げます。

 この地形景観シミュレーションは,縄文海進時の汀線の復元に主眼をおいたものであり,その他の地形変化(富士山の噴火・山体崩壊など)は盛り込まれていません。 また,縄文時代なのに市街地らしきものが見えるという点は,ご容赦ください。


佐藤崇徳のホームページへ戻る
Since 2007.01.29