ひとりごと52  「複素数について」

2019. 3. 11 佐藤 憲史

この頃,複素数とはなんぞやということで頭を悩ませている.2018年度の卒業研究の一つで複素誘電率を取り上げた.具体的には海水中におけるマイクロ波の吸収係数を評価するという課題である.水は電気的には特異な存在であり,低周波では大きな誘電率を持つ.誘電率を複素数で表現すると虚数部で損失に関わるパラメータを表せる.誘電率のような線形応答における感受率を複素数で表すと,実数部と虚数部は独立ではなく,クラマース-クローニッヒの関係が成り立つ.その辺を復習すると複素関数の積分が出てくる.コーシー積分などはマジックのようで計算はなんとかできるが原理を深く理解しているわけでなく,数学教員に助けを求めたりもした.しかし,しっくりわかったわけではない.

沼津高専の電気電子工学科では2年で交流理論を学ぶが,複素関数(ejwt)を使って電圧や電流を表す.物理量としての電圧や電流は実数であり複素数ではない.複素数を使えば計算が楽になる,ということで使っている.しかし,サインコサインもまだおぼつかないときに「複素数を使うと計算が楽になる」という実感は持てないだろう.訳がわからないまま,とにかく試験にパスするよう計算していたという学生が多いようだ.電気の交流では電圧が振動しており,波動現象を扱っている.波動の理想形,あるいは基本形としてサインコサインがある.サインコサインなどの実関数で電磁現象は記述できるのであり,複素数はいらない.ただし,実数だけで理論を展開すると式が煩雑になるが複素数を使うと簡潔である.たとえばjwLなどの複素インピーダンスを使うと計算が楽になる.複素誘電率なる複素数も波動を複素関数で表すのでそれに伴って出てくる.

波動現象の解析ではフーリエ変換という数学が威力を発揮する.複雑な波動現象もサインコサインの基本的な関数に分解できるという考えである.時間領域の波形を周波数領域で解析しているともいえる.フーリエ変換もサインコサインの実関数だけで済むのであるが,複素数に拡大すると便利ということで複素数表示が一般的である.このとき,必然的にマイナスの周波数が出てくる.空間的なフーリエ変換ではマイナスの波数が出てくるが,空間的に反対向きの波動として実体がある.しかし,マイナスの周波数をどのようにとらえたらいいのだろうか.数学では時間軸にプラスとマイナスがあり,マイナスの周波数もありうる.時間的に反対方向に進む波動ということになるが,現実的ではない.物理学の基本となっているマクスウェルの方程式やシュレディンガー方程式は時間反転について対称である.つまり,時間の向きにはよらないのでマイナスの周波数もプラスの周波数と同等である.ところが,現実には因果律があり時間がプラスの方向にしか進まないというのはどこから出てくるのか.これは物理学の大問題として永年議論されてきた.最近,エントロピー増大の法則(時間の不可逆性)が量子力学から導出できることが計算機シミュレーションで示された(1).これは画期的なことであり,もっと注目されるべきだ.現実には損失があることで不可逆性が出てくる.マクスウェルの方程式に損失項を挿入すれば時間反転について非対称になる.損失は出るがその逆過程は起こらないのは当たり前であるが,損失などは複雑系における非平衡物理として別の理論で考えられていた.量子力学は非平衡物理も包含しているのだろうか.

量子力学では複素数が不可欠であり,便利だから複素数を使っているというわけではない.試したわけではないが複素数なしではその理論を記述できないだろう.古典電磁気学では電磁場を複素数で表すが,実数部分のみ意味があると考える.あるいは,ある複素数とその複素共役の和とおき,実数になるようにする.量子力学では複素数を前提に理論が展開され,電磁場も複素数を使って量子化される.波動関数という,ものの存在を表す関数も複素数である.原子や電子の世界では実数だけでは話ができないのである.量子力学まで学べば複素数にも親しみがわき(慣らされ),複素数は何かあの世をのぞき見る手段のような気がしてくる.しかし,人間は決して虚数を直接見ることができない.人間が計測できるのは実数,あるいは絶対値である.位相という形で虚数も見えるのではないかと反論されそうだが,位相は実部と虚部の関係を表すものであり,不確定性から両方を確定できない.実数としての計測量がどのように出てくるか,量子力学はキチンと答えている.そこに確率やら量子もつれなど,アインシュタインも納得できなかった不思議な現象が絡んでくる.最近,佐藤文隆氏が量子力学について書いた本(2,3)を読んだ.量子力学が誕生して100年とちょっとになるが,一部の専門家のものからようやく庶民のものになる時が来るのだろうか.

ウィキペディアで「虚数」を検索すると,「1572年にラファエル・ボンベリは虚数を定義した」と出ている.定義というより発見ではないか.「1637年にデカルトは初めて『虚数』ということばを使った」ことも出ている.虚数の名付け親がデカルトであった.数学で発見されたものは現実にある,あるいは現実を表すことに使える.古代ギリシャからアラビアを含めた西洋では数学が発展し,近代科学を生んだ.東洋では複雑流転の自然をありのままに受け入れ,数学や科学は発展しなかったようだ.

マクスウェルの方程式や回路方程式の一般解として複素数が出てくる.古典的な交流理論や回路理論で複素数が出てきて難儀するが,量子力学のための準備だったと思えば良い.量子力学では複素数の世界が現実にあるという気がしてくる.量子力学をマスターする前に息切れしていてはもったいない.

(1)  金子和哉,伊與田英輝,沙川貴大,「量子力学から熱力学第二法則へ」,日本物理学会誌,pp.361-369, Vol.73, No.6, 2018

(2)  佐藤文隆,「量子力学が描く希望の世界」,青土社,2018.7

(3)  佐藤文隆,「佐藤文隆先生の量子論」,講談社ブルーバックス,2017.9

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