ひとりごと46  「疑問について」

2017. 3. 23  佐藤 憲史

私の理想の授業は以下のようである.内容やレベルが適当で構成がしっかりした教科書を選定し,授業計画に沿って毎週のテーマを明示する.来週は教科書のここをやる,と伝え,次回の授業では「何かわからないことはありますか?」と聞くことから始める.いろいろな質問が出て,それについて皆で考え議論してみる.教員はなるべく発言を控え,補足説明程度にする.質問が尽きたり,何も質問が出なかったら演習問題をやる.これは最近はやりのアクティブラーニングである.これを実践したいが懸念がある.まず,事前に教科書を読むなど予習をしてくる学生は何割いるだろうか,という懸念がある.

現代は情報にあふれている.わからないことがあればネットですぐに調べられる.難しい本を時間かけてじっくり読むという習慣ができている学生は,どれくらいいるだろうか.我々が学生のころは,教科書などの本が情報源だった.図書館にもよく通った.新学期に真新しい教科書を手にすると,高い山を登るときのように意欲がわいた.大学では先生や先輩から勧められた専門書を買って独学した.講義も聞いたが,高名な教授の話を聞いただけでは理解できなかった.本で展開される理論がなんでそうなるか,理解に苦しんだ.素朴な考えと合えば理解できるが,常識を覆されるような理論を納得することは難儀である.悪戦苦闘した科目は今でも身についており,大学で購入した本をほとんど持っている.「わかりやすい---」という本があるが,わかりやすいお話を聞いても身につかない.量子力学など常識が通用しない理論では,脳がしびれるほど思考しないとものにならないのではないか.

次の懸念は,通常の授業ではなかなか質問は出てこない,ということだ.逆にこちらから,なんでそうなるのか問うと答えられない学生が多い.教科書やウェブなどの情報をうのみしているのではないか.あるいは受け売りであり疑うことをあまりしない.「疑う」ということは楽しいことではなく苦しいことであり,できればやりたくないということか.疑うことなどせず,ありのままを受け入れて生きる,「信じる者は救われる」という考えもあろう.逆にそれが満たされた生活を送る術かもしれない.そこまで悟っていれば学校になど来なくてよい.

疑問は考えて出てくるというより,感じるものかもしれない.「あれ,へんだな」と.「疑う」ことは楽しい面もある.「なんでだろう,なんでだろう」と歌いながらやる漫才や「なーんでかフラメンコ」という漫談があり,私は大好きである.疑問を抱くことが学修や研究の出発点でもある.What’s your question? 研究者の大切な素質の一つは,疑問を持つこと,矛盾に気付くことである.「研究は愚から大愚への道のりである」と言っていた大学教授がおられた.疑問を持つことは自らの愚を知ることである.その疑問を追及し乗り越えたかと思うと大愚に気付く.例えば,「色とは何か?」という,ニュートンやゲーテらも抱いた大疑問がある.光は電磁波であり色の違いは波長の違いということがわかっている.人間の目にはRGB (Red, Green, Blue)の3つのセンサがあり色を識別している.ファインマンの教科書にも詳しく解説されている(1).センサからの電気信号が脳に行き人間は色を知覚する.脳に伝えられるのは同じ電気信号であり,部位が異なるだけである.それが赤や緑と認識されるのはどうしてか,という,さらに深い疑問がわく.まさしく,「愚から大愚への道のり」だ.

「存在するものは合理的である」(ヘーゲル).何事も背景に理由がある.論理的な思考がなければ疑問は発生しないともいえる.「論理的な思考」とは何か.それはどのように形成されるのか.物理学に限れば,物理現象は単純な原理で説明できる,基本的な原理から演繹される,という信念がある.例えば,「光速度不変の原理」と「物理法則は座標系によらない」として特殊相対性理論は展開される.「慣性質量と重力質量が等価であるのはなぜか」という偉大な疑問(アインシュタイン)が等価原理であり,一般相対論へ拡張される.

磁場中でコイルを移動させたときにコイルに誘導される起電力が,交流電流による磁場でコイルに誘導される起電力と同じ形式,「鎖交磁束の時間変化が起電力に等しい」で表現できるのはなぜか.砂川重信氏は,「その理由を知っている人はいない」と記述している(2)PN接合の電流‐電圧特性でエネルギー保存則はどうなっているか.よくよく考えるとわからないことだらけである.教科書には,当然の前提や仮定を述べていないことがある.私の経験では,そのような前提を知らず理解に苦しむことがあった.理解できないことを質問として言葉で話してもらえれば,理解を助けられる.ただし,質問という形で整理できている段階というのは,結構理解できている状態ともいえる.何がわからないかわからないような状態なら,学修する内容やレベルを変えた方が良い.

社会や人生に対する疑問は,喪失,不当な扱い,だまされた経験,病気などで必然的に起きる.いろいろ不平不満は絶えないし,さまざまな困難に直面する.数学や物理でも,理解に苦しむ,問題が解けない,という困難に直面する.それらの困難をどのように乗り越えようとするかが問題なのかもしれない.単位がほしいという動機だけでは試験を乗り切ることに注力するのみで,単位取得して中身を忘れるという事態に陥る.何とかなるという処世術を学校で教えているのかもしれない.ともかく「思考の徹底」が大事で,思考力を養成するにはどうしたらよいか検討しよう.

参考文献

(1) R. P. Feynman, R. B. Leighton, and M. Sands, “Lectures on Physics,” vol. I, chap. 35-36, ADDISON-WESLEY PUBLISHING COMPANY, 1964.

(2) 砂川重信,「理論電磁気学」,第2版,p. 25,紀伊国屋書店,1973

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