ひとりごと43  「はだかの王様」

2016. 3.31  佐藤 憲史

時々,「はだかの王様」になっているのではないかと思うことがある.「はだかの王様」は,ある特別な着物が愚か者には見えないと言われ,見えるふりをしてしまう王様の話である.着物でなくとも知識や情報,考え方で同じようなことがある.例えば,学生のレポートで結構難しいことが書いてあり,内容について聞くとほとんど答えられないという場面に出くわす.本やウェブを参考にしてレポートを書いたようだが,中身を理解しないでそのまま書いている.わかったふりをしているということでは,「はだかの王様」と同じだ.ノーベル賞受賞と聞くと受賞者がとたんに偉く思えてくる.「ニュートリノに質量があることを示した」という受賞理由には,しかし,何のことかわからないと素直に言える.授賞理由が理解できなくともノーベル賞の権威にはかなわない.これも「はだかの王様」だ.

いろいろなところに「はだかの王様」があると思っていたが,三島市の図書館でその本を調べようと検索した.それがアンデルセン童話であることを知った.検索には,「『はだかの王様』の経済学」1という本が出てきた.「はだかの王様」がいろいろなところに現れており,それを経済学の基礎に据えて論を展開している.私が考えていたことと同じようでもあるが,歴史や経済の視点から,はるかに深い洞察があった.「神」や「貨幣」も「はだかの王様」の「着物」に相当するということが書かれている.著者は「観念が一人立ちして人々を縛ってしまう」ことを「はだかの王様」と言っている.観念や理念は思い込みに陥り,現実とかい離することがある.物理学では理論の積み重ねがあり,基本的な原理が覆されることは稀である.現実社会は複雑系であり,一方的な観念ではとらえられないということか.

菊池寛著「形」という短編小説がある.この場合は,「猩々緋の羽織」や「唐冠纓金の兜」などの目に見える装飾物が,敵に恐怖という思い込みを誘発する話である.簡単に言えば「馬子にも衣装」ということになる.「学歴」も似たようなものだ.いろいろ身に付けていてはだかではなくとも,中身がはだかのケースだ.

テレビ番組の「水戸黄門」で,格さん,助さんが「この紋所が目に入らぬか‐‐‐‐」と言うと周囲の者が土下座してひれ伏す場面があった.子供のころ,その場面を見て痛快感を覚えたが,あれは何だったのか.今見れば,はだかの王様を連想するくらいだ.50年ほど前は「この紋所が目に入らぬか」が通用したが,現代では「それ何?」という反応が多いのではないか.実際にネットで,紋所とはどういう意味かという質問があった.国の権威が絶対的ではなく民主主義が広まったことと関係しているように思う.

「世間の目」,「世の期待」なども思い込みに陥った結果ではないか.世の中,千差万別であり流転している.はだかの王様にならないためには,どうしたらよいか.常に現実を見ることが重要なことは言うまでもない.

参考文献

(1)  松尾 匡著,「『はだかの王様』の経済学」,東洋経済新報社,20086月.

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