ひとりごと42  「ネット依存症」

2016. 3.31  佐藤 憲史

通勤の道すがら,今日もスマホ片手に歩く人を見かける.スマホ,携帯,パソコン,それらはインターネットに常時接続されることで巨大な情報空間とでも呼べる世界を形成している.インターネットが普及したのはつい最近のことだ.そのことがもたらす意味を考える文献(1)も出てきた.インターネットが人間に及ぼす弊害を警告する文献は数多くあり,最近,文献(2)(3)を読んだ.かなり刺激的な内容が書いてあり,そうだと思える点もある.

1.ネット依存症

文献(3)には,「デジタル・ヘロイン」とか「現代の阿片」といったドキッとする言葉が出てくる.オンラインゲームに熱中→昼夜逆転→学校・社会生活が破たんし,アル中などと同じ症状になる事例が紹介されている.ネット依存症とゲーム依存症は少し異なるが,ここでは同じように取り扱う.

私は以前,ネットで会員制の囲碁対局を楽しんでいた.時々,時間を忘れて長時間パソコンに向かっていたことがあった.世界中の会員と対局でき,勝ち負けで自分のスコアが変わりランクが決まる.ランクを上げようと必死になる.会員は数万人いるようで,私の世界ランキングは5千番台であった.トップレベルにはプロも参加していると聞くが雲の上の存在である.ランクを上げるのは並大抵のことではない.いつの間にかしんどくなって止めた.最近,囲碁のソフトを購入した.それはネット接続なしでパソコンと勝負していることになる.5級から五段までランクが選べる.五段はアマのトップクラスレベルだ.パソコン対決でも夢中になり,朝から晩まで食事もそこそこに10時間以上やっていたことがある.相手はパソコンで疲れ知らずだが,こちらは取りつかれ,挙句の果てに疲れきって終わり,後悔だけが残る.人間相手に対局するときはじっくり考え,勝負が終わるまで12時間かかる.1局の対局でかなり疲れ,そう何局も打てるものではない.パソコン相手だとどうしてか,あまり考えなくなる.

2.ネットを利用した個人攻撃

LINEを利用したスマホいじめ.いじめの手段としてスマホが使われるが,常時接続によってどこにいても逃れられない状況になる.いろいろなサイトでの書き込みで個人攻撃が行われ,問題となっている.

3.ネットがなかった時との違い(1)

「ネットでなんでも見られる」というのは幻想ではないか.ネットがなかった時と比べ何が変わったか,何が良くなり,悪くなったか.仕事の上ではネットの存在が時間の節約,効率化に貢献している.一方で情報セキュリティ対策が必須になっている.テロなどもネットを使って拡散する.

4.教育的な規制

学校でスマホや携帯の所持を学生に認めるべきか.朝,先生がスマホや携帯を回収して放課後に返しているところもあるようだ.テレビコマーシャルではゲームの宣伝が野放し状態である.ゲームの宣伝を規制すべきではないか.韓国では規制しているようだ.タバコの宣伝はなくなったように思う.たばこのケースには吸いすぎると体に良くないことが書かれているが,ゲームの場合もそのような注意書きが必要ではないか.

 

私はスマホも携帯も持たない.これは意地,大げさに言えば文明への反発のようなものだ.持てば便利とは思うが,あえて不便を選ぶ.パソコンは仕事上でもプライベートでも使用している.パソコンは道具であり,それで十分だ.最近,囲碁界でAlphaGoというソフトがプロ棋士を負かしたのは大変ショックだった.

参考文献

(1)      マイケル・ハリス著,「オンライン・バカ」(The end of absence),青土社,20158月.

(2)      和田秀樹著,「スマホで馬鹿になる」,時事通信社,201410月.

(3)      岡田尊司著,「インターネット・ゲーム依存症」,文芸新書,201412月.

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