ひとりごと38  「一言余計」

2014. 9. 5.  佐藤 憲史

 

齋藤 隆著,「余計な一言」(新潮新書,2014)を読んだ.たまたま書店でこの本を見つけ,最近思っていたことと符合して,すぐ手に取った.書店をときどき覗いてみると面白い本が見つかる.そこで書名を憶えてネットで購入したり,キィワードで検索して購入することもある.三島市の図書館の新刊を展示しているコーナーは参考になる.横浜駅前の地下街にある有隣堂書店は理系の本が充実している.上述した本は,事例を挙げてわかりやすく書かれてあり,すぐに読めた.余計なことを言って失敗した経験は数多くある.他人から言われて気分を害したこともある.

ある事件や事故が起きてから,「私はこうなると思っていた」と言う人がいる.これも余計な一言だ.問題が起こり右往左往しているところに駄目だししても,それはあまり意味がない.「起こるとわかっていて,あなたは何もしなかったのですか?」と問うても,「私は彼にこうすべきと何度も言った」と返ってくるが,それは言い訳にしか聞こえない.言った,言わないでなく事件や事故が起こらないようにしなければ意味がない.ある事件・事故が起きた場合,その原因を追及することはたやすいことではない.人間はある人間には味方し,ある人間には敵対するようだ.そのような好き嫌いが判断を左右する.類は友を呼ぶ.モンスターはモンスターを呼ぶ.余計な一言から罵倒がとびかうことにもなりかねない.

ネット社会では余計な一言があふれていないか?電子メールには気を付けないといけない.思考が飛躍してとんでもないことを書いていると思えるメールをたまに受け取る.Twitterやらなんとかは一切かかわらないことにしている.ウェブの世界はどこにでも繋がっているのであり,余計なことはしないことにしている.

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