ひとりごと35  「続 M. スコット・ペックを読む」

2013. 8. 19.  佐藤 憲史

 

「うつの健全さ」.落ち込む,うつになる,そのこと自体は健全である.かけがえのないものを失った時,自分の行動が否定された時,何かを諦められない時,うつになる.しかし,諦めることができればうつから抜け出せる.諦められず,うつの状態が長引くと病になる.「諦める」というのは,仏教の教えるところの悟り,執着しないことに通じる.色即是空.「諦めるな.諦めなければ夢は叶う」ともいわれる.しかし,「諦めない」ことはそれ以上に多くのものを「諦める」ことで成り立つ.

「神経症は責任をとりすぎ性格障害はとらなさすぎる.」ふだんは頼まれると断れないタイプが,ときに他人や組織を猛烈に非難し攻撃する.頼まれたことに一生懸命こたえようとする,また,他人からどう思われるかを気にする.しかし,自分の行為に対して無視されたり,思い通りにならないと相手を攻撃しだす.あることを自分で選んで実行しておきながら,順調にいかなくなると他人のせいにする.幼い子が失敗すると,「すべてお母さんのせいだ」と言って泣きじゃくるのと同じだ.

誰でも多かれ少なかれ,「神経症と性格障害」を持ち合わせている.「つまり生活のある場面では,自分のものでない責任まで引き受けて罪の意識に縛られているが,他の面では,とるべき責任を取らずにいるのである.」「人生において何が自分の責任で,何がそうでないかを見分けることが,人間存在の最大の問題の一つ」自分で責任をとるとはどういうことか.

怒っているときは,性格障害が現れている場合が多い.自分がかっとなって怒った場面を思い返すとヒステリーと思えることがほとんどだ.相手を攻撃してもどうにもならないのに,かっとなって言ってしまう.他者から怒られたり攻撃されたら相手が性格障害かと疑ってみる.宮澤賢治の「雨にも負けず」に「決して怒らず,いつも静かに笑っている」とあるが,これがなかなか難しい.学生をどなったことは何度もある.体罰ではないがメンタルな暴力かもしれない.「怒りについて」でも書いたが,H氏に,「それは教育ではない」と一蹴された.体罰や怒鳴ることで教育しようというのは,前近代的なレベルだ.例えば戦前の軍国主義教育など.H氏に,「唯一変わるのは人間である」と言われたが,「そう簡単には変わらない」と諦めているのかもしれない.

本文中,「 」内は,記述がない場合,M. スコット・ペック著,「愛と心理療法」からの引用である.

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