ひとりごと30  「勇気ある知識人」

2011. 12. 31.  佐藤 憲史

 

 年の暮に,東京駅近くで大学時代の友人と昼間から忘年会をやった.4人集まったが,その中の一人は大学卒業以来の再会だった.それぞれ違った進路で,いろいろ経験して,また会うというのは実に楽しいものだ.「勇気ある知識人」は大学のホームページにあり,ときどき思い出して口ずさんでいる.これを話題にしたがあまり反応がない.大学への寄付にも協力しているが,私はまじめなOBであることが判明した.

友人の一人は大学に入らなかったらもっと違った人生があったろうと,何か大学に入ったことを後悔するようなことを言っていた.彼は小説が好きで文学部に進もうとしたが,高校の先生に文学では食えないから工学部への進学を勧められ,それに従ったとのこと.私の場合は,原子力の分野に進もうかとも思っていた.40年前の高校生のころ,今思えば福島第1原発が稼働し始め,原子力は最先端技術であり,核融合は人工の太陽を地上で実現する夢の技術であった.スリーマイル島の事故(1979. 3.28)もまだ起きておらず,原子力の安全性に考えは及ばなかった.結局,私は理学部物理学科に進んだ.原子力や核融合などのあれこれの技術ではなく,広く物理をやろうと思った.大学に入ってみると,授業についていくのもままならない劣等生であることを自覚した.授業を聞いてもほとんど理解できないので教授や先輩に勧められた本を読んだ.数学については,偏微分や多重積分の基本は理解できた.電磁気学や量子力学など何とか入門レベルは通過できたろうか.しかし,一般相対論は,「ひとりごと29」にも書いたように,ブルーバックスにあるようなお話としてしか理解できなかった.「ひとりごと29」を読んだ友人は,理学部・物理でその程度かと嘆いていた.私は,それで理論系はあきらめ実験系に進んだことを述べた.一般相対論を理解するにはリーマン幾何やテンソルを操れないといけないが,記号の羅列についていけなかった.

私も友人も,それぞれに挫折があり紆余曲折があった.今は元気といってもあれこれの手術をしたとか,腰痛で苦しんだ経験とか,健康に関する話題は尽きない.学生の頃,現在が予想できたろうかと考えると,未来は予測できない,とつくづく思う.元気でどうにか生きていることを確認し,再会を約束して別れた.

 

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