ひとりごと その3 「ないことの豊かさ」

20071.26 佐藤 憲史

 

私は,車の免許がない.こういうと,ある人に,ワシントン条約で保護すべき絶滅危惧種といわれた.さらに,私は,携帯電話をもっていない.この両方をもっていない成人は,日本に何人いるだろうか.

以前,PHSを持っていたことがあったが,ほとんど使わなかったので止めた.たまに出張のときや週末出かけたときは便利であったが,持っていくのを忘れたり,出張も月に1回あるかないかの仕事だったので,使う機会がめったになかった.通話がゼロで基本料金だけ払っていることが多く,無駄と思い止めた.携帯はなくとも全く困らない.電子メールは学校でも不可欠で,自宅からも読めるようにしてあるので連絡はとれる.緊急のときなどは,携帯は便利だが,そのようなことはめったにない.あれば,公衆電話か,周りの人に頼めばよい.しかし,クラブの顧問で引率があるときなど,携帯があれば便利だとは思う.これは仕事で使うので,職場で共通の携帯を用意してくれるとありがたい.

車は,あるポリシーがあって運転しない.一つは,私は運動神経が鈍いので車を運転すると必ず事故を起こすと思っているためだ.日本では毎年7000人近くの方が交通事故で亡くなっている.怪我を含めるとかなりの数だろう.親戚や知人で交通事故にあった人は,何人もいる.昔,狂牛病が騒がれ,牛肉を食べなくなりアメリカ産の牛肉を輸入禁止にした.狂牛病で亡くなった人は,世界中でも数えるほどだろう.しかし,多くの人は牛肉をおそれた.ならば,交通事故では7000人も亡くなっているのだから,車には乗らなくなるのが当たり前と思う.ましてや酒を飲んで運転するというのは,論外だ.ところが一向に車も事故も減らない.これが私には信じられない.また,高々60キロの体重を運ぶのに,1トンぐらいある車を動かすことの不合理を感じる.電車やバスは,多くの人間を運ぶので良いが,通勤などで一人で乗用車を動かすのは,いかにももったいない.石油という安価なエネルギー源があるので,それほどコストはかかっていないと反論されるかもしれない.しかし,2酸化炭素の排出量の3割は,車だといわれている.車を減らすことは環境にとても良い.しかも,歩いたり自転車に乗れば健康にも良い.排気ガスも減り,これまた健康に良い.困るのは自動車産業かもしれないが,車がなくなるわけではない.運送用には必要だ.(実は,かく言う私も,時々妻の車に厄介になっている.)

車という文明の利器を運転することは,とても気持ちの良いことかもしれない.車が趣味という方もおられるので,それは結構なことと思う.私は,人間の何倍もの馬力を出せる機械を操るより,自転車や徒歩で汗を流す方が気持ちよいと思っている.

私の通勤は自転車や徒歩であるが,道路はとても危険だ.三島市では,文教町のイチョウ並木や楽寿園から三島大社周辺は,散歩するにはとても良い歩道がある.しかし,多くの道路は歩くのには危険だ.日本は豊かになったといっても,この道路には貧しさを感じる.立派なのは高速道路などだ.車のことは考えられているが,歩行者のことはあまり考えられていない.ついでにつけくわえると,水洗トイレ(下水道)の普及が遅れているのも日本の貧しさの象徴と思う.

携帯電話と車は,交通事故という点で結びつく.車や自転車を運転しながら,携帯電話で話している人がいる.歩いている人でも携帯電話を耳に押し当てている人を時々見かける.携帯電話を持たない私には,何をそんなに忙しそうにするのか,理解できない.電話なのでよそからかかってくることもあるだろう.しかし,危険が潜んでいる道路で電話する余裕はないだろうと思ってしまう.昨今,下界は結構物騒になっており,何が起こるかわからない.ちゃんと,前を見て歩いた方が良い.景色や草木を楽しむこともできる.

車,携帯電話の他に,私は新聞を取っていない.パソコンで見られるので新聞も止めた.新聞があるときは,朝,テーブルにつくなり新聞記事に没頭していた.新聞を取らなくなったら,朝,家族との会話が増えた.ニュースは,テレビやウエブで十分だ.ウエブの方が,項目を絞っていて,簡潔で良い.もっと知りたいことがあれば,検索すればよい.ということで,新聞をやめても全く困らなかった.

我々は,なくとも良いものをいろいろ抱えているのではないか,その反面,本当に必要なことを忘れていないか,と思う.

 

 

過去の「ひとりごと」へは,ここへ.