ひとりごと28  「大地震の後で」

2011. 5. 6.  佐藤 憲史

 

東日本大震災で被災された方々にお見舞い申し上げます.

311日からいろいろなことが前とは違って見えてきた.スマトラ沖大地震,四川大地震,ハイチ大地震と,世界中で大地震が起きている.スマトラ沖大地震では津波の映像が世界中に流されたが,今回,東日本でも映像としてその脅威をまのあたりにした.東海地震など起きるといわれていることだが,そのメカニズムを良く理解していない.わかっても予知できるところまではいかないようだ.

これまで言われてきた「安全」という張り紙がひらひら風に舞っている.原発に関しては,「5重の安全機構」で「巨大地震や津波にも耐えられる」と聞かされてきたが,そうではなかった.想定外の巨大地震だったのかもしれないが,事故は想定内であれば起きない,あるいは被害は小さいのであり,想定外のことがあって大事故となる.いくつかの故障や欠陥が重なって大事故になる.これは最近知ったことだが,津波による原発の危険性は以前から指摘されていた.女川原発や福島第2原発では最悪の事態を免れている.福島第1原発でもそれほど難しくない対策をとっていれば防ぐことができたのではないか.原子力の技術自体が否定されたわけではない.チェルノブイリがあっても原子力はなくならなかった.今回の事故があっても原子力はなくならないだろう.私は,「原発推進」でも「脱原発」でもないが,原発以外のエネルギー政策へのリソースが増えることを歓迎する.

原子力については,「プルサーマルは必要」などという宣伝がテレビで毎週のようにあった.学校関係では,昨年,「原子力・エネルギーに関する課題研究コンクール」なるものなどがあり,原子力を推進するキャンペーンが繰り広げられてきた.地球温暖化対策も原子力には追い風となった.昨年暮れ,大学編入した卒業生が電力会社に就職が決まって原子力をやることになったとメールで知らせてきた.その時,私は,これから原子力は重要性を増すようなことを返事に書いた.化石燃料がなくなったとき,原子力も必要だ.太陽光や風力といった自然エネルギーを利用した発電では,なかなか電力量が賄えない.ただし,地球温暖化や化石燃料枯渇の問題は100年ぐらいのスパンで考えることであり,原子力については,それほど急いで推進しなくてもよいといえる.まだまだ可能性を追求することがある.そもそも太陽で起きている現象は核融合であり,太陽光発電や風力発電のもとは原子力エネルギーである.超巨大で安定な原子炉がえらく遠いところに無償で存在するのであり,それを利用するのが先決ではないか.太陽熱発電はまさに核融合で発生した光(熱)を集めて蒸気を発生させ発電する,原子力発電である.半導体を用いたソーラーは,核融合で発生した光のエネルギーをそのまま電子のエネルギーに変換しているのであり,本質的に変換効率が高いといえないか.地上で核分裂を起こすとかなり高いエネルギーが得られるが,その高エネルギーから300 K程度の熱エネルギーに変換しなければいけない.ウランの核分裂では,約200 MeVのエネルギーが発生する.300 Kの熱エネルギーは0.026 eVであるから,10ケタの違いがある.小さなエネルギー量子へ数を膨大に増やす過程を水で行っているのが軽水炉である.この過程でエネルギーは保存されるが,安定な状態まで変化するには時間と労力がいる.水の熱エネルギーでタービンを回し電気エネルギーに変換する.その変換効率は35 %程度ということである.原子力の主なコストは施設の建造費などでウランなどの燃料費の割合は少なく,安く発電できるという.しかし,廃棄物処理まで含めるとどうなのか.核エネルギーから熱エネルギーまでの10ケタの変換は,時間もかかるし制御も難しい.

計画停電を経験して思ったことは,そもそも電力を使いすぎではないか,ということである.店が暗くなったり,電車の本数が減ったり,不便なことは不便だが生活できないわけではない.地震で被災した方に比べればたいしたことない,という思いもあるが,電力をふんだんに使う生活を見直すべきだろう.それは地球温暖化対策としても重要だ.

 

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