ひとりごと19  「経済とエネルギー保存則」

2010. 1. 5.  佐藤 憲史

 

 物理ではエネルギーは物理的な仕事で測られる.一方,経済では仕事は労働であり,労働が価値を生む.労働者とその家族の衣食住,子どもの教育費など労働の再生産に必要な価費よりも多くの価値を人間は労働で産み出す.生産力は歴史的に発展してきており,産み出される価値も増えている.しかし,それはエネルギー保存則に反するのではないか,という疑問を学生のころ持った.物理では,仕事は,あるものに作用された力とその力によって移動した距離の積であらわされる.そのような仕事がなされるとそのもののエネルギーが増える.エネルギーは経済で言う価値のようなものである.しかし,物理ではエネルギー保存則があって,なされた仕事とそれで得られたエネルギーは等しい.なされた仕事よりも多いエネルギーの発生などあり得ない.経済で言う価値を物理で言うエネルギーと同じように考えるのはおかしいのかもしれない.

例えば,稲作を考えてみよう.米をつくるために人間は仕事をする.その仕事に費やされたエネルギーがあり,それが米の量で測られたとする.稲作で得られた米の量をそれに費やされたエネルギーと同等の米の量と比較したとき,前者のほうが多いというのが経済の教えるところである.これは,物理で言うエネルギー保存則に反しているように見える.しかし,良く考えれば,稲作では人間の仕事以外にもエネルギーの移動がある.稲が種から成長して実をつけるまで自然の中でいろいろなエネルギーをやり取りしている.特に,太陽光による光合成が重要である.つまり,太陽光エネルギーが地球外から降り注がれることによって,稲は実をつけている.それらのエネルギーをすべて考慮すればエネルギー保存則は成り立っていると考えられる.経済的な価値創造の根源は太陽光エネルギーなのかもしれない.石油もそもそも太陽光エネルギーだ.地球外からやってきたエネルギーを使っているから,人間の労働はより多くの価値を生み出せる.地球外からもたらされるエネルギーだけでなく原子力などもある.

経済ではコストが重要だ.ある価値を生み出すとき,それに費やされる価値が多くもなり少なくもなる.費やされる価値の方が多くなっては経済的に成り立たない.物理ではいろいろやっても結局全体のエネルギーは一緒だとしか教えてくれない.ただ,物理で言う仕事やエネルギーは測れるが,経済的な価値を測るのは難しい.米つくりは日本では結構コストがかかって,外国から米を輸入したら太刀打ちできない.かといって稲作をやめることはできない.食糧自給を考えなければならないし,田んぼ自体,環境的な価値がある.林業もしかりで,日本の木材が外国の木材に負けるからというので山を放っておくと大変なことになる.山林には雨水をためるダムの機能があるし,CO2削減効果もある.CO2削減効果は,手入れをしていない山林ではだいぶ低下するそうだ.

 

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