ひとりごと17 「楽しい英語『多読』入門」を読む

2009. 8. 4.  佐藤 憲史

 

林 剛司著,「楽しい英語『多読』入門」(20096月,丸善プラネット(株))の感想を述べる.

林さんは,沼津高専の英語教員であり,上記の著書を紹介され読んでみた.私は今秋から「工業英語」の授業を4年生にやらなければいけなくなり,そのヒントが得られないかという思惑もあった.前著,「英語は『多読中心でうまくいく!』」(2006年,ごま書房)を読んでいたので,内容はよく理解できた.

この本では,中学や高校の英語教育が,「文法訳読方式」に基づいた旧態依然たるものであることが批判されている.私が習った高校英語では,リーディングとグラマーの授業に分かれており,文法重視のまさしく「文法訳読方式」であった.夏休みなどに宿題として,英文の小冊子を読んだ覚えがある.辞書を片手に英文を日本文に訳していくのは,なかなか根気のいる作業だった.大学に進んで物理の専門書などを英語で読んだ.日本語訳を読んでも理解するのが難しい内容なので,とても苦労した.英語の記述は明確で理解しやすいところもあるが,最後まで読みとおせなくて,ほとんど途中で投げ出している.その後,企業に就職して専門分野の論文や記事を英語で読むことが必要になったが,いつの間にかすらすら読めるようになった.しかし,ちょっと分野の違う英文は簡単には読めないし,英語の小説や哲学書を読む気にはなれない.

「多読」による英語教育は,大変羨ましいと思う.我々は,小さい時には絵本や児童書を,高校ぐらいになるとかなり分量のある小説などを読んで,日本語力を磨いている.日本語と同じように,英語についてもやさしく楽しい本をたくさん読んでいけば自然と身につくように思える.しかし,「高校3年間でペーパーバック1冊にも満たない量の英文を,ゆっくりていねいに文法訳読式で読んでいくという授業しか経験しない」者がほとんどで,それでは英語力向上は望めないことが指摘されている.本書では志学塾予備校の英語教育が紹介されており,「多読語数100万語を超えた生徒は,英語の本を読んでいるときに日本語を介さずに読んでいる割合が高く」,そのレベルで学習法などを変えているようだ.100万語の英文とはどれくらいの量だろうか?最近,査読した論文は,本文が15ページあり,1ページ1300語くらいなので約2万語だろうか.100万語はこの論文50篇分である.1篇の論文を読むのに約1日かかっているので,50日かかることになる.それぐらい英語に浸れば上達しそうである.母国語を身につけるために,我々は幼児期からかなりの時間をかけている.母国語でない言語を身につけるためには,相当な時間が必要であることはわかる.外国語習得の中心に「多読」を位置づけることは良いと思うのだが,学生の関心が英語にばかり向くわけではない.学生はいろいろな科目を勉強しており,英語にだけ時間を割くわけにはいかない.数学や物理,その他の専門科目でも,相当な時間をかけないと身につかない.特に,数学は,根気よく問題を解く作業が必要だ.それでなくとも学生の勉強時間が少なくなっているように思う.英語が楽しくなり勉強するようになれば他の科目もやるのではないか,というのは楽天的すぎるだろうか.

 「文法訳読方式」について,思い出したことがある.確か,高校の英語教師が言っていたことのように思うが,「高校程度に年齢がいった人が外国語を身につけるには,文法を学んで文章の構造を理論的に理解することから始めるのが合理的で習得が早い」ということから,「文法訳読方式」を擁護する論である.それを聞いたときは,そうかと納得した.物理や数学でも基本的な原理や法則を学んでその応用を身につけるように,語学も同じようにやればよいのかと思ったのである.ただし,物理では,実験や自己の体験があり,それら実体験と法則を結びつける作業を通じて,理解を深めている.英語における文法という理論を詰め込んでも,何かしら実体験がなければなかなか身につかないし,やる気もでない.

私が担任をしているクラスで英語力が抜群に高い留学生がいる.母国が英語圏ではないその学生にどうやって英語を身につけたかと聞いたら,小さい時からアニメなどをテレビで,もちろん英語で,見ていて自然に身についたという.テレビや「多読」などで英語の楽しさを味わう経験が大事なのかもしれない.それは,他の勉強にも言えることだ.つまり,楽しいとか,面白いといった経験があると続けられる.単に試験をパスしたとか,A評価をとったということ以外に,目からうろこが落ちるような経験や達成感が大事ということだろう.

 

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