ひとりごと11 「学校の勉強は役に立たない?」

2008.8.18 佐藤 憲史

 

教育に関する研究報告書に,アンケートに答えてくれた人の意見として,「学校で勉強したことはほとんど会社に入って役に立たないのが当たり前---」という文章が掲載されていた.これを書いた人は,学校で習う専門は役に立たなく,むしろ学校では人間教育が大事であるということを主張していた.企業人からも,大学生が学んだ専門には期待していない,という趣旨の発言が見受けられる.これらの発言を学生が聞けば,学校で習うことはたいして役に立たないのか,と思うであろう.実際に,学生はそのように考えている節がある.高専では工場見学旅行というのがあり,2年ほど前,引率でついていったことがある.そのおり,ある企業で高専OBの方が高専で学んだことは仕事をする上で役に立っている,過去に学んだことが考えるヒントになるというようなことを学生に言ってくれた.これに対して,学生の多くが大変意外だったということを感想文に書いていたのである.学校で習うことは社会ではあまり役に立たないと思っていたが,先輩の話を聞いて認識を新たにしたと.最初に書いた「学校で勉強したことはほとんど会社に入って役に立たないのが当たり前---」,という見識はかなり学生にも浸透していると感じた.そこで,私が学生に言ったことは,役に立つかどうかではなく,役立たせるかどうかだ,あの先輩は仕事をやる上で過去に学んだことを総動員して何かを解決しようとしたり,アイデアを出したり,努力している,そのようにすれば何でも役に立つのであると.(だいたい,テストの前にやっつけで勉強しているようでは身に付かず,役立てることなどできない,と言いたかったが,それは止めた.)ともかく,「学校での勉強は実社会ではあまり役立たない」,という考え方は,学校教育をやる者にとって,諸悪の根源ともいえる見解だ.このように考えていては,何のために勉強するのかわからなくなる.「良い成績をとらないと良い進路が選べなくなる」,というぐらいが勉強する動機になってしまう.「学校での勉強は実社会ではあまり役立たない」という考え方には論理の飛躍があり,もっと正確に表現すべきである.例えば,「学校で学んだ専門を身につければそのまま会社で仕事ができる,あるいは優秀な業績を上げられる,というほどあまくはない」,とか.会社で開発している技術は日進月歩であり,多種多様である.学校で学ぶ専門は,現実社会で進歩している技術からどうしても遅延がある.また,すべてを網羅することはできないので,教育内容を厳選してやるしかない.会社に入ってみて,学校では学んだことがない技術がたくさんあることに気づくだろう.しかし,技術も歴史的に進化しているのであり,まったく新しいということはない.学校で学んだことの進化した形態として,理解できることが多いのではないか.学校で学んだことを基礎として,進化している技術を早く深く習得できるのではないか.それを忘れて,「学校での勉強は実社会では役立たない」,と言ってしまうのは,論理の飛躍だ.学校でやる専門を習得しただけで商売できるのであれば,苦労はない.日本の企業は世界の企業と熾烈な競争をしているが,単に技術を持っていれば勝てるというものではない.常に改良や変革が求められる.教科書で習うことと社会で行なう実践(実戦)は違う.それは当り前だが,そこで,学校の勉強が役立たない,と言うのは言い過ぎである.

会社でこういう経験がある.研究所にいて,あるデバイスを開発し,関連会社で製品として売り出すことになった.後になって,その会社の責任者に,「研究所からもらった技術は全く使えず,ほとんど新たに開発しないと売れるものにはならなかった」と言われた.研究所でうまくいっても製品として売り出すと様々な問題が出て,それを解決するのに大きな労力を割く必要があった.しかし,研究所で何もしていなかったらもっと大変だったろうし,製品化がかなり遅れたはずだ.そう反論したかったが,相手の苦労を考えると何も言えなかった.とかく人間は過去の恩恵を忘れがちである.学校でいろいろ学んだことがなければどうなったか,想像することは難しい.

私は,普通高校から大学の理学部物理学科に進学したので,そもそも役に立つかどうかなどとは考えなかった.物理は森羅万象の背景にある原理・法則を解明しようとする学問であり,それを学べば何か将来が開けるのではないか,と漠然と考えていた.周りにも相対論的重力場を研究するのだ,と意気込む学友もいた.ある意味単純で素朴な学生であった.大学ではその分野で著名な教授が講義をしており,いろいろ聞いたが,それだけではちんぷんかんぷんであり,自分で勉強しないと何も得られない,それが大学だと気がついた.大学院修士まで進んだが,オーバードクターが大勢おり,自分の能力に見切りが付いて,企業の研究所に就職した.就職して,大学で学んだことは大いに役立った.大学で量子力学を学び,井戸型ポテンシャルの中の量子準位を計算した.研究所で,半導体多層膜により量子井戸を形成し量子井戸レーザを開発する仕事に携わった.GPSでは相対論的な補正がなされるなど,物理で学んだことが実際に使われることに何度も遭遇した.同じ会社にも,大学では宇宙物理をやっていたとか,素粒子理論をやっていたという物理出身のものが何人かおり,それぞれ活躍していた.研究所という特殊な環境なのでやっていけるのではないかと思われるかもしれない.しかし,物性理論をやっていた友人が半導体メーカで働いている.物理出身者は,大学で工学的な専門をほとんど学んでいない.しかし,なんとか企業でやっていける.いろいろなことを物理現象として捉え何でも興味をもつというのは物理出身者の一つの特性であり,そのような人種も実社会で生きていけるということだ.この事実は,「大学で学ぶ工学的な専門は,会社であまり役に立たない」という論理に利用されそうである.しかし,物理出身者はマイナーであり,会社において技術的な分野で中心になっているのは工学的な専門を学んできた人たちである.私自身,工学的な知識がなく,いろいろ勉強する必要があった.しかし,大学の物理学科を選んだことには何ら後悔はない.勉強は役に立つかどうかではなく,もっと基本的なものだ.今でも相対論やカオスなど勉強しているし,仕事に直接関係ない物理を勉強している友人がいる.勉強の面白さは山登りに似ている.その行程はほとんど単調で苦しい登りだ.時には大変な悪路があって,何時間かかってもほとんど進まないことがある.しかし,稜線に出ると突然視界が開け,なんとも言えない爽快感を味わえる.

企業人が,大学生が学んだ専門には期待しない,という趣旨の発言をする裏には,日本の大学への批判がある.研究を活発に行っている大学には有名大学が多いが,その研究が企業にはあまり役立っていない,と映る.研究のための研究が多く,実業に結びついていないという批判である.例えば,アメリカのMITという大学では特許収入が毎年数十億円あり,毎年数百のベンチャーが生まれているという.数年前聞いた話で,日本の大学では,名古屋大学で赤ア教授の開発した青色LEDに関する特許収入が何億円あるのがほとんどということだった.日本の大学の新技術・新産業創出能力は,アメリカの大学に比べ雲泥の差がある.そこで,十年ほど前から大学からの起業が奨励され,インキュベーションセンターなどが設立された.その成果がどうなっているか,興味のあるところである.例えば,有機ELを研究している山形大の城戸教授のところから,合弁会社が生まれている.このような例が増えれば,「大学で学ぶことは役に立たない」という人は,ほとんどいなくなるだろう.

 

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