ひとりごと10 「ものは考えよう」

2008. 5.26 佐藤 憲史

 

脳科学が進歩していて,また,それをコンピュータでやらせることがどんどん進んでいる.たとえば,タバコの自動販売機が,買いに来た人間を大人かどうか判断するなど,そこまでできるのかと感心する.人間のこころも脳の働きであり,どんどん解明されてくる.そのような唯物論にはなじめない,こころは神聖なものであり,科学で解明できるものではない,という考えもある.では,脳が停止して,つまり,死んだらどうなるか?宗教がある人は,天国に行くのだ,と考えるだろう.私は,無になる,と思っている.寝ていて無意識の状態,それが永遠に続く.私はお墓の中にはいなく,風になっている,というような歌があったが,あるのは,生きている人間がその人を意識する,ということで,本人は消滅している.消滅してもその人がやったことや作ったものは残る.どれだけのものを残せるか,と考えながら,必死でやればいいのかもしれない.この「必死」という言葉は意味深い.必ず死ぬということで,それは真実だ.しかし,本当に必死になれるのは,そうない.私は,宗教を否定する気はなく,原始仏教に憧れをもっている.先ほどの歌は,「千の風になって」というタイトルだが,これは仏教かと思った.死んだ者が風になって吹き渡るというのは,仏教の輪廻転生という思想ではないかと思った.しかし,もともとイギリスの歌だそうで,キリスト教の発想だろうか.

科学が脳や心まで解明しても,われわれの生活が大きく変化するわけではない.人間の考え方やこころの動きは,科学で制御できるものではない.脳の機能が科学的に解明されつつあるとしても,我々がどのように考えるか,その考え方は千差万別だ.人間のゲノムが解明されたといっても,新型インフルエンザの恐怖はあるし,生活に変化がないように.

タイトルにのせた「ものは考えよう」というのは,いろいろ苦しいこととか,不幸なことがあっても考え方一つで変わる,という,とても楽天的な発想である.「世の中には幸福も不幸もない.ただ,考え方でどうにでもなるのだ」とシェークスピアがいっているそうだ.「ものは考えよう」は,高田さんの本[1]に出ていて,落ち込んだ時に自分を励ます言葉にしている.「考え方でどうにでもなる」というのは,現実を直視しない観念論ではないか,と思われるかもしれない.しかし,高田さんの言っていることを引用すると,「私たちが不安を感ずる出来事に遭遇した時,その出来事が直接感情を生んでいるのではなく,その出来事が生む一瞬の考えが感情を生んでいる」ということである.たとえば,大学受験で不合格になったとき,「この大学に入れないと将来はない」という考えが,絶望的な気持ちを引き起こす.「有名大学でないと恥ずかしい」といった考えがあると,落ち込むのである.「この大学には縁がなかった」とあきらめて,別の大学を受験することもできる.あきらめる,断念することをほんとに知っている者のみがほんとに希望することができるという(三木清の「人生論ノート」).「ものは考えよう」という発想は,仏教の「執着しない」という教えに通ずるものがある.いろいろな局面で,自由に考え方を変えてみることができれば,困難を打開したり,新しい糸口を見出したりできるのではないかと思う.ところが,考え方はなかなか変えられないのが常だ.脳の神経回路が出来上がっていて,同じような考え方になる.たとえば,私は囲碁というゲームをやるのであるが,同じような失敗を繰り返すので自分が嫌になるときがある.そう思ってもまた同じようなパタンでやられる.考え方を変えることは,並大抵ではない.また,違った考え方を理解することにも大変努力がいる.

学校でやる教育の主要な部分は,「考え方」を育てる,あるいは教える作業である.世の中で確立された学問を教わることになるが,学生にとっては,新しい考え方であり,それをどのように理解するかである.地球が球体であり,宇宙空間に浮かんでいることを知ったのは,小学校の時だろうか,そうか,と感心したような記憶がある.そのような体験を繰り返していければ勉強も楽しいのだが,だんだん難しい数学が関わってきて,ついていけなくなる.

考える作業は,脳細胞が行っている.記憶もしかりだが,最近,特に記憶の衰えを感じる.脳細胞を活性化する研究があり,脳細胞の再生を促すために重要な点がまとめられている.第1にあげられているのは,運動である.体を動かすと脳細胞も活性化するそうだ.第2は,刺激ある環境である.第3にあげられているのは,訓練と勉強である.訓練や勉強も気持ちを入れて集中してやらないと単なる時間つぶしになってしまうことが指摘されているが,それは,いつも実感している.

 

参考文献:[1] 高田 和明著,「五十歳からの元気な脳の作り方」,角川書店,2004年.

 

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