ひとりごと その1

20071.17 佐藤 憲史

 

昨年,4月1日付で着任した. 43日月曜日,朝,初出勤したが,かなり緊張したのを覚えている.所属は電気電子工学科で,光エレクトロニクスを専門とする.教員室は,3階の管理棟に近いところである.3月初めに前任の教授がおられるころ,一度見学にきたので様子はわかっていた.部屋は9坪ほどあり広い.隣に研究室として,2倍の広さの部屋がある.卒研生(5年)3名,専攻科生(1年)1名を担当する.

高専というところは私にとって初めて所属する組織であり,認識を新たにすることが多々あった.静岡では中学3年生の進路先として,高専は高い目標になっており,成績優秀な学生が入学してくる.競争倍率は2倍程度である.このような状況はどのような要因によるのか.入学してくる学生が,高専を選ぶ理由は何か.就職状況の良さ,有名大学への編入,工学の専門教育などであろうか.ロボコンファンもいるし,パソコンが好きという学生もいるだろう.反面,社会や国語,英語などが嫌いという学生もいるようだ. 一般には9割以上の中学生は普通高校や工業,商業高校へいき,そのうち4割が大学へ進学というコースを取る.高専はマイナーなコースであり,ユニークともいえる.ユニークさが根付きにくい日本にあって,珍しい現象ではないか.こと教育に関しては,親も熱心である.小学校から(あるいは幼稚園から)有名私立学校へ入学させようとする親がいる.高専に行かせる親は,どのような考えか.昭和3040年代は,国立大学は授業料が安かったが進学率は低かった.高校−大学の7年間より高専は5年間と2年短く,早く就職することに魅力があった.工業高校のほうが短いが,それに飽き足らない,しかし,大学まではちょっと,というニーズにこたえてきたのかもしれない.

現代の工学に関わる科学技術は高度化しており,教育も大学院(2年間の前期課程)まで行く学生が多くなってきた.研究・開発に関わるエンジニアにとっては,大学院卒という肩書きは当たり前になっている.高度な技術の開発に関わるようなエンジニアを育てる教育の主たるコースは,高校−大学−大学院である.高専−大学−大学院というコースもあるが人数は少ない.電気系技術者の高専出身者は,2-3 %というデータがある[1]

一方で,理科離れが進行しているし,少子化は明らかである.大学も含めて大変である.地方の大学の工学部では入学志願者が減少しており,地方大学は危機感を持っているようだ.高専は,就職状況が良いのでまだましなのであろうか.企業にとって,高専生はなぜ魅力的なのか.ある人が,マスター出の人と高専出の人の組み合わせでうまくいくので企業にとっては魅力的という.高専生は,勤勉,まじめ,人付き合いができるなど評価は高いようだ.

英才教育の頂点は大学院としても,理科の得意な学生の英才教育の入り口としての高専の役割はあるかもしれない.昨年の高校履修問題をみて,高専はなくならないと思った.「世界史は受験に関係ないのでやらないが,やったことにする」,などという貧しい教育を高校がやっているうちは,高専は生きていける.理科教育では,特に実験が大事だ.事実の体験がなくては,理科教育は始まらない.私の高校の時には,物理の先生が夏休みの補習で普段やれない実験をやらせてくれた.教科書は覚えていないが,実験をやったことは今でも覚えている.米村伝次郎先生のような方は別として,あのようなことを今の高校がやっているとは思えない.

 

次回は,高専の問題点など,議論してみたい.

 

参考文献

[1] 高橋 雄造,「電気技術者は何人養成されたか」,電学論A, 12210号,pp. 898-905, 2002.