インド六派哲学の一つ。カテゴリー論に基づき外界と普遍の実在を説くインドの実在論哲学で、仏教など非実在論思想各派と鋭く対立した。
創始者はカナーダ仙人、別名カナブジュあるいはウルーカで、根本聖典『ヴァイシェーシカ・スートラ』(以下VS)は彼の作と伝えられる。
VSの現形は後2世紀前半までに成立したと推定される。その思想は論理学に形而上学的基盤を与え、ニヤーヤ学派の成立・発展に寄与した。
当初の思想はカテゴリー論と宇宙論の二面性を有したが、徐々にカテゴリー論による学説の体系化がはかられ、プラシャスタパーダ(5-6世紀)の『パダールタ・ダルマ・サングラハ』(以下PDh)において実体・属性・運動・普遍・特殊・内属の6カテゴリーの体系が完成して古典期の定説となった。
PDhによる標準的な学説の思想内容は次の通り。世界を実体・属性・運動・普遍・特殊・内属の6カテゴリーによって説明する。
実体としては、地(もしくは、土)・水・火・風(空気)・虚空(エーテル)・時間・方角・アートマン(自我あるいは霊魂)・マナス(こころ)の9種が立てられる。それぞれの実体は、それぞれに定まった「属性」、「普遍」および「特殊」を有する。そして、遍在する実体すなわち、虚空・時間・方角・アートマン以外の実体には「運動」がある。これらのカテゴリー間の関係は、不可分離な関係で「内属」と呼ばれる。一例を挙げれば、「実体」である布とその「属性」である色の不可分な関係が「内属」である。
物体は、地(もしくは、土)・水・火・風(空気)の4種の原子によって構成されるが、結果(全体)はそれを構成する原因(部分)の総和とは別の語で表される別の実在であるとする。たとえば、布はそれを構成する原因である糸とは別の実在で、結果である布は原因である糸に「内属」しているとされる。
このホーリスティックな因果説は因中無果論あるいは集積説といわれ、サーンキヤ派に代表される因中有果論あるいは開展説と鋭く対立した。開展説によれば、現象している一切万物は唯一の根本原質であるプラクリティから開展して現れてくる。結果はすべて原因の中に潜在的に存在しており、結果の発生とは、それが開展により現れ出てくることである。1)
一方、因中無果論によれば、原因の中に結果が予定されているのではなく、結果は原因とはまったく別の実在として、新たに生み出されるとする。
「内属」は、上述の通り、糸と布のように不可分でありながら別個の実在とされる原因(部分)と結果(全体)の関係を表すために立てられたカテゴリーであるが、実体・属性・運動・普遍・特殊のカテゴリー間の分立不可能な関係にも適用される。
実体・属性・運動の知覚は対象・感覚器官・意・アートマンの接触から生ずるが、知覚がことばで表されるのは、それらに内属する「普遍」と「特殊」の2カテゴリーの限定作用による。
「普遍」は同類のものに同じ知を生ずる原理、「特殊」は異類のものとの区別知を生ずる原理でともに実在とされる。「究極の特殊」は、常住な実体、すなわち地(もしくは、土)・水・火・風(空気)の4種の原子・虚空・時間・方角・アートマン(自我あるいは霊魂)・マナス(こころ)のひとつひとつに内属し、それぞれ個々の独自性を明らかにする原理であるが、一般人には不可知でヨーガ行者により瞑想の中でのみ知られうるという。(このように個々の存在がすべて独自性をもって現れてくる世界がどのようなものであるか想像されたし)
以上のような6つのカテゴリーによる世界の正しい理解が得られると、無知が消え執着(こだわり)がなくなる。執着を離れると欲望や憎しみ(などの煩悩)が消滅して、それらから生ずる善悪の行為の結果が発生しなくなる。そしてついに、過去に積み重ねられた行為の結果が尽きて、身体が再び発生することがなくなると、燃え尽きた薪のように寂静な解脱にいたると説く。
http://www.philo.demon.co.uk/vaishesh.htm