シャーンディリヤの教え

 『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』 3.14.1-4

1.この一切(万物)はブラフマンであり、
  タッジャラーン(それから生じ、それへ帰り、その中で呼吸するもの)*注であると、こころ穏やかなる者は思念せよ。

  人間は実に意向からなる。
  この世においてもつ意向のまま、この世を去った後も同じ意向をもつ。
  人は意向を定めよ。

2.意からなり、生気をからだとし、光を姿として、真実を思惟し
  虚空を本性とし、あらゆる味をもち、万物を包みこみ、沈黙して煩わされることのないもの。

3.それが心臓の内にある私のアートマンである。
  それは米粒あるいは麦粒より、また芥子粒、黍粒より、黍粒の核よりも微細である。

  この心臓の内にある私のアートマンは、
  大地より大きく、虚空より大きく、天よりも大きく、これら諸世界よりも大きい。

4.あらゆる行為をなし、あらゆる欲望をもち、あらゆる香りをもち、あらゆる味をもち、
  万物を包みこみ、沈黙して煩わされることのないもの。

  それは心臓の内にある私のアートマンである。それはブラフマンである。

  この世を去った後、それに合一したいという意向のある人は、この点に疑いをもたない。

*注

   「タッジャラーン」の解釈は諸説ある。「それをジャラーンとして思念せよ」と訳されることもある。本文の訳は、シャンカラ説によるもの。

   宇井伯壽訳『チャーンドーグヤ・ウパニシャット』(『ウパニシャット全書』第3巻)p.77.参照。

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