「クリシュナ」(kRSNa)は、もとは「黒」を意味する形容詞である。肌の色が黒いためこの名がある。クリシュナは、ヴィシュヌの化身のうちでも、ラーマとともに民衆にもっとも人気があり広く信仰されている。
クリシュナも、ヴィシュヌに劣らず多面的な神で、いくつかの異なる神が複合されて成立した。クリシュナ信仰の成立と発展の過程はきわめて複雑で、西インドのいくつかの部族の神々が合体して多様な相をもつに至ったと推定される。正確なところは不明であるが、クリシュナを構成する主な要素として、次のようなものがあげられる。(1)ヤーダヴァ族の英雄クリシュナ、(2)ヴリシュニ族の一神教的なヴァースデーヴァの信仰、 (3)アービーラ族の牧童(ゴーパーラ gopAla)の信仰、さらに、(4)正統バラモン思想の伝統との融合によるヴィシュヌの化身としての信仰である。
(1)ヤーダヴァ族の英雄クリシュナは、『マハーバーラタ』に登場する。クリシュナは、マハーバーラタ戦争において、ドヴァーラカ(現在のグジャラート州、北西海岸ドワールカ)地方のヤーダヴァ族を率いてパーンダヴァ軍に味方する。そして、アルジュナ王子の御者として、ときには王子を励まし、ときには巧妙な作戦を教えて王子を勝利に導く。
この戦争の伝説が史実かどうかはともかくとして、ヤーダヴァ族のクリシュナは歴史的人物と考えられる。クリシュナは一族の指導者として、バガヴァットに対する信仰を説いた。バガヴァットを信仰するものをバーガヴァタという。クリシュナは、いわば、バーガヴァタ教の祖である。とりわけ、彼は「信愛」(bhakti)という神への愛にも似た熱烈な信仰を説いたとされる。「信愛」は、後代のヒンドゥー教において信仰の最も純粋なもの、真髄とされる。死後、クリシュナはバガヴァットと同一視されたのであろう。1)
(2) ヴァースデーヴァは、ヴィリシュニ族の英雄か王であったろうとされる。2) この名には、紀元前4世紀のパーニニが言及する。また、紀元前2世紀のパタンジャリの『マハーバーシュヤ』3.1.26(vol.2、p.36、l.19)に「あるものたちはカンサの信者であり、あるものたちはヴァースデーヴァの信者である」と言及される。カンサは、後代のクリシュナ神話では、クリシュナのいとこであるが敵対者で、クリシュナに殺される悪王である。しかし、仏典の『ジャータカ』が伝える話では、クリシュナではなく、あくまでヴァースデーヴァの話で、カンサは悪王ではない。それは,次のような話である。
ウッタラーパタのカンサ州にマハーカンサという王がいた。王には、カンサとウパカンサの二王子とデーヴァガッバーという王女があった。この王女の子が生まれれば、王国は滅ぶという予言のため、王女は高楼に閉じ込められていた。しかし、ウッタラーマドゥラ国の王の弟、ウパサーガラが近づき、娘アンジャマデーヴィーが生まれた。娘だったので、兄達は安心して王女にゴーヴァッダマーナ村を与えウパサーガラとともに住むことを許した。二人から、ヴァースデーヴァ、バラデーヴァ、チャンダデーヴァ、スリヤデーヴァ、アッギデーヴァなど十人の子が生まれた。王達には二人の子ではなく、奴隷の子だと騙して育てた。成長すると、十人の王子は、狂暴な力士となり、二人の叔父を殺して王位を奪い、さらにアヨッジャー、ドヴァーラヴァティーを侵略し、インドを統一する。その後,カンハディーパーヤナ仙人を殺し、彼の予言通り、七日後に兄弟は互いに争って殺し合い、皆滅んだ。(Jaataka, vol.IV, pp.79ff.)
碑文によれば、紀元前2世紀、ギリシア人ヘリオドロスは、「神々の中の神ヴァースデーヴァ」にささげる石柱をベスナガル(Besnagar、現在のMadhya Pradesh州Vidisha)に建てた。彼は、バクトリア大使としてタクシャシラーに滞在していたが、その碑文の中で、自分を「バーガヴァタ教徒」と呼んでいる。また、石柱の頂には、ガルダ(金翅鳥、あるいは迦楼羅)が飾られていたという。3) (ガルダはヴィシュヌの乗る鳥とされる。)この頃までに、バーガヴァタとヴァースデーヴァは一体のものと見なされていたことが理解できる。
(3) アービーラ族の牧童(ゴーパーラ gopAla)の信仰は、マトゥラー周辺に広まっていたと考えられる。現在もマトゥラーの北には、クリシュナの生誕地とされる所があり、そこにはクリシュナ・ジャナム寺院が建てられている。また、マトゥラー西北のヤムナー河畔にあるヴリンダーヴァンは、クリシュナが牧女たちと遊び戯れた森のあったところとされる。そこには寺院が多く建ち並び、クリシュナ信仰の中心地となっている。
『ハリヴァンシャ』は『マハーバーラタ』の付属文献として伝えられているが、クリシュナの神話を伝えるものである。およそ、西暦1世紀頃から数百年かけて完成されたと考えられる。若く、美しい牧童のクリシュナがヴリンダーヴァナで魔神を滅ぼし、牧女たちと戯れる様子が描かれる。
10世紀頃に成立したと推定される『バーガヴァタ・プラーナ』(Winternitz, vol.1,p.556)によれば、クリシュナはマトゥラー周辺にヴァスデーヴァの子として生まれ、幼い時から怪童としてヤムナー川に住む毒竜カーリヤを退治するなどさまざまな奇蹟を行い、ついにはマトゥラーの悪王カンサを殺して人民を救った英雄として描かれる。また美貌の牧童として描かれ、笛の名手で夕べにヴリンダーヴァナで笛を吹くと、牧女たちは恋情をかき立てられ、惹きつけられて、彼のもとに集まり、歌い踊り、奔放な愛に戯れる。
12世紀ベンガルの詩人ジャヤデーヴァは、『ギータ・ゴーヴィンダ』(牛飼いの歌)を著わし、クリシュナと牧女ラーダーの官能的な愛の叙情詩を美しく歌いあげた。ここに描かれる性愛への熱情と宗教的真情が渾然一体となった境地は、ヒンドゥーのエロス的熱情をともなう「信愛」(bhakti)を象徴的に表現するもとして広く受け容れられ、大きな影響を及ぼした。
1) 『バガヴァッド・ギーター』は、現在では『マハーバーラタ』の一部として伝えられているが、元はこのようなクリシュナ=バガヴァット信仰を説く聖典として成立した。(現行のテキストでは、4.6−8、11−24などクリシュナとヴィシュヌを同一のものとしており、より発達した段階のクリシュナ信仰を伝える。)後に『マハーバーラタ』(第6巻23−40章)に含められたが、本来独立の書で、現在もしばしば独立の書として扱われる。ヒンドゥー教の聖典としてヴィシュヌ派に限らず、もっとも大きな影響力を持つ。
2) もっとも、クリシュナがヴァースデーヴァ(ヴァスデーヴァの子)と呼ばれるのは、ヤーダヴァ族のクリシュナの父がヴァスデーヴァであったからという説もある。辻直四郎『バガヴァット・ギーター』講談社、昭和55年、p.315.