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第2章 原始仏教

序 ブッダ(釈尊)とその資料

1. ブッダ(釈尊)

 仏教とは、仏すなわちブッダ(Buddha)の教えである。漢字で「仏」の字をあてるのはブッダの音写である。日本でこれを「ほとけ」と読むのは、中国での初期の音写ブト(浮図や浮屠の字をあてる)が日本へ入って「ふと」から「ほと」になまり、これに「け」がついたものとされる。1)

   ブッダは、わが国では「釈迦」あるいは「釈尊」(しゃくそん)と呼ばれることが多い。「釈尊」とは「釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)」の略とされる。ブッダが釈迦族(サーキヤ族、あるいはシャーキヤ族)の出身であることによる尊称である。牟尼(muni)とは「聖者」のことで、世尊(bhagavat)とは「福徳あるもの」の意味である。仏典において仏弟子たちは、この「世尊」という尊称をよく用いる。

 ブッダの原語 buddhaは、「気づく、理解する、悟る、目覚める」などを意味する動詞 bodhatiの過去分詞で、「悟った、目覚めた」などの意味を持つ。釈尊の当時のインドでは修行を完成し真理を悟った者に対して一般に用いられていた語である。

 釈尊は悟った者としてブッダと呼ばれた。仏教の教理が発展すると、悟りを開いたのは釈尊ひとりではないと考えられ、釈尊以前の諸仏(過去七仏)、さらに大乗仏教では、無量無数の諸仏という観念が生まれた。こうして「ブッダ」という語はもっぱら仏教において用いられるようになり、インドでは仏教徒のことをバウッダ(Bauddha、ブッダにしたがう人々)という。また、仏教徒は、ブッダの異名の一つ、スガタ(sugata「善く行った者」の意。漢訳では「善逝」ぜんぜい)にもとづいてサウガタ(Saugata スガタにしたがう人々)とも呼ばれる。

 ブッダの個人名はゴータマ・シッダッタ(ガウタマ・シッダールタ)であったとされる。これによって、ゴータマ・ブッダと呼ばれることもある。ブッダは、また如来(tathagata 修行を完成した人)、阿羅漢(arhat 尊敬に値する人)など多くの異名をもつ。2)

  伝説によれば、ブッダは現ネパール領南部の出身で、29歳のとき出家、35歳で成道し、45年にわたる布教の後、80歳で入滅した。

 生没年は、アショーカ王の年代との関係によって論じられる。アショーカ王の年代は、およそ前268年即位、前232年没とほぼ確定されているが、ブッダとの年代の間隔については、伝承により異説がある。

 南伝説
 パーリ語による資料、スリランカの『島史』と『大史』は、アショーカ王を仏滅後218年とする(南伝説)。これによればブッダの入滅は前486年頃になる。

 北伝説
 一方、中国に伝わる仏典『十八部論』『部執異論』は、アショーカ王を仏滅後116年とする(北伝説)。これによればブッダの入滅は前383年頃になる。
3)

 ブッダは、南伝説によれば古代中国春秋時代末期の孔子(前552−477年)と、北伝説よればギリシアのソクラテス(前469?-399年)とほぼ同時代の人である。



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1)ホトケの語源については異説が多い。たとえば、柳田國男『先祖の話』「46ホトケの語源」(定本柳田國男集、第10巻 筑摩書房 1962年)p.84――「そこで私の第二の想像説、死者を無差別に皆ホトケというようになったのは、本来はホトキという器物に食饌を入れて祭る霊ということで、すなわち中世民間の盆の行事から始まったのではないかという考えも、そう突拍子もないものとはいえなくなると思う。幾つもの方面からこの問題には近よって行かれる。ホトケのホトは浮屠または仏陀の音としてもわかるが、それにケの語を添えた理由は、今でもまだちっとも判っていない。あるいは浮屠家であろうといい、また朝鮮風の接尾辞だろうというなどは、本人もなお危ぶむほどの臆説であり、僧契沖のような考え深い国学者ですらも、ほとけのケは木であって、民草青人草の草に対する語だろうなどと、心細いことを言ったままになっている。」

2) ブッダの異名は原始仏典において定型化されており、「如来の十号」といわれる。「如来」「阿羅漢(あるいは応供 おうぐ)」のほかは、「正等覚者」(しょうとうがくしゃ 正しく悟った人)、「明行足」(みょうぎょうそく 知を行を兼ねそなえた人)、「善逝」(ぜんぜい 善く行ける者)、「世間解」(せけんげ 世間を知る人)、「無上士」(むじょうし 最上の人)、「調御丈夫」(じょうごじょうぶ 訓練されるべき人々の御者)である。

  3) 宇井伯壽「仏滅年代論」(『印度哲学研究 第二』)岩波書店 pp.1-111.
中村元『インド古代史』下、春秋社、1966年、p.409f.
梶山雄一「インド仏教思想史」(『岩波講座東洋思想』第 8巻、岩波書店、1988年)p.8.
宮元啓一『仏教誕生』(ちくま新書 1995年)p.76.
村上真完『仏教の考え方』(国書刊行会 1998年)p.20.
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参考文献及びリンク: http://www.inet.co.th/cyberclub/bow/overview_buddhism.html