4. 維摩経

 般若経典の空の思想を文学的にあらわしたのが『維摩経』である。7)主人公の維摩詰(ゆいまきつ、Vimalakῑrti)は在家信者で、出家の仏弟子や菩薩を次々に論破する。小乗の出家主義にたいする大乗の在家主義の優位が示される。

 第 6章には世界を空としてみることが菩薩の利他行の根拠となることがあざやかに説かれる。

 「菩薩はすべての生きもの(衆生)をどのように見るか」という問いに、維摩は、手品師が作りだした人、かげろうの水、水の泡、中の空虚な芭蕉の茎、大空の鳥のあとかたなどの比喩をもちいて、「菩薩はすべての生きもの(衆生)の本質が空で、真実には固定的な本性をもたないもの(無我)であること知って見る」と答える。

 「そのような見方をする菩薩になぜすべての生きものに対する大きな慈悲心が起こるのか」という問いに対して、あらゆる執着、煩悩、とらわれがないから、寂静な、無熱の、妨げられることのない、大悲の、慈しみの心が生まれると答える。

 また、第 8章には生・滅、浄・不浄、善・悪など対立矛盾するものが真実には空であって、異なるものではないとする教え(不二の法門)が説かれる。
 この教えに入ることが悟りであるとされるのであるが、「不二の教えにはいるとはどういうことか」という問いに、諸々の菩薩はさまざまに答える。
 これに対して、維摩は沈黙をもって答える。ことばによって説くことがすでに本来空なるものに分別をくわえ区別・対立を設けている。悟りの智慧が、分別、ことばを超越したものであることを説く。


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7) 長尾雅人訳「維摩経」(『大乗仏典』第 7巻、中央公論社、1974年)  【本文へ】