トリムールティとは、直訳すれば「三つ(トリ)の形態、あるいは姿(ムールティ)」の意味である。ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァの三神は本来一体であるが、三つの姿で現れるというのである。このように神々を融和させることは、ヒンドゥー教が異なる宗派に対して、排除ではなく許容する態度をとったことをよく示している。
この三神一体説は、キリスト教の三位一体説と比較されることがある。しかし、イエスが人か神かという問いに発して、父なる神と子イエスと聖霊が神性において等しいとする三位一体説(trinity)とは少し異なり、トリムールティ説の三神の位置づけは流動的で、シヴァ派の人にとってはシヴァが主であり、ヴィシュヌ派の人にとってはヴィシュヌが主というように、場合によって変化する。
三神それぞれに役割が分けられる。ブラフマーは宇宙の創造を、ヴシュヌは維持を、シヴァは宇宙期の終わりにおける宇宙の破壊を司るとされる。
トリムールティ説の初期のものは、古代ウパニシャッドの中でも後期に属する『マイトリ・ウパニシャッド』第5章に現れる。
5.2では、万物がタマス(闇質)、ラジャス(激質)、サットヴァ(純質)の三種の質からなるとするトリ・グナ説に、三神を結びつけて、ルドラ(シヴァ)を闇質、ブラフマーを激質、ヴィシュヌを純質に対応させる。
また6.6では、聖音オームがa u mの3音からなることから、aにブラフマー、uにルドラ、mにヴィシュヌを対応させている。古代ウパニシャッドの後期には、すでにトリムールティの観念が成立していたのであろう。
西暦400年前後、サンスクリット文化の花開いたグプタ朝の繁栄のもとに活躍した、サンスクリット文学最大の詩人カーリダーサは、『クマーラ・サンバヴァ』(クマーラ神の誕生)2.4以下で、トリムールティを美しく歌いあげた。
また、仏典の『提婆菩薩釋楞伽經中外道小乘涅槃論』は、「摩醯首羅一體三分。所謂、梵天、那羅延、摩醯首羅。」(『大正蔵』第32巻、p.157c25)と、シヴァをマヘーシュヴァラ、ヴィシュヌをナーラーヤナとするが、トリムールティ説に言及する。この論書は、提婆菩薩(アーリヤデーヴァ)に帰せられてはいるが、彼の真作とは見なされていない。しかし、508年に洛陽に到着したインドの菩提流支が翻訳したものなので、5世紀には成立していた。その頃、トリムーティ説が広く知れわたっていたことがうかがわれる。
時代が下って11世紀、ソーマデーヴァの説話集『カター・サリット・サーガラ』73.169-171には、苦難続きで悲嘆にくれるブーナンダナ王の前に若い行者が現れ、次のようにトリムーティ説を説いて聞かせる。