3. 合理的な思惟

 ブッダのものの見方は、きわめて合理的である。苦しみが宿命や神の意志、あるいは偶然から起こるものであるとは考えなかった。苦しみが生ずるには、そこにかならず何らかの原因・条件がはたらくと考えた。

 ブッダの最初の説法を聞いた五人の修行僧(五比丘)の一人アッサジ(アシュヴァジット)長老に帰せられる「縁起法頌」と呼ばれる偈は、そのようなブッダの姿勢をよく伝えている。

 「何であれ、もろもろのことがらは原因から生ずる。それらの原因を如来は説かれた。また、それらの止滅をも。偉大な沙門はそのように説かれる。」(Mahāvagga 1-23-5)

 ただし、このことからただちに原始仏教のすべてを理性的であるとみなすことはできない。布教の過程では当時の俗信あるいは迷信を必ずしも排除しなかったからである。ブッダの教えが合理的で理性的であるとは、根底となる考え方が合理的で理性的であるという意味である。


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