第2節 原始仏教の教理

 ブッダに帰依する人々が集まり、僧団が形成され、それが発展するとともにブッダの教えは、急速に整備され、体系化されていった。そして、三宝・三法印縁起四諦八正道などのまとまりのある説が成立してくる。

1. 無記

 原始仏教が思想を構築していく上でとった基本的な立場は、無記である。

 「無記」(avyākata, avyākṛta)とは、形而上学的な問題について判断を示さず沈黙を守ることである。無用な論争の弊害からのがれ、苦しみからの解放という本来の目的を見失わないためにとられた立場である。

 『マッジマ・ニカーヤ』(中部経典)第63経「小マールンキャ経」は、世界が永遠であるか否か、有限であるか否か、生命と身体は同一のものであるか否か、人は死後存在するか否かという問題について、ブッダが何も語らなかったことを「毒矢のたとえ」によって巧みに表現している。1)

 毒矢にいられ、苦しむ人を前にして、医者が、患者の身分、階級、弓の種類、矢の種類などについて知られない間は治療しないとしたら、その人は死ぬ。
 世界が永遠であろうとなかろうと、有限であろうとなかろうと、生命と身体が同一であろうとなかろうと、人が死後存在しようとしまいと、人は生まれ、老い、死に、嘆き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩む。

 ブッダは、現実にそれらの苦しみを止滅することを第一義の目的とした。あくまでこの目的を見失うまいとするのが「無記」の立場である。ここには、心の病の医者としてのブッダの側面が如実に現れている。2)


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1) 田中教照訳「毒矢の喩え」(『ブッダのことば III』講談社、1985年) 1頁以下。後代の『倶舎論』では十四無記が説かれる。高崎直道『仏教入門』東大出版会、1983年、77頁。【本文へ】

2) この「無記」の立場は、経験できないものについては語らないという点で、現代の実証主義に通ずるものがある。この思想的な態度は縁起・無我の教義と結びついて、大乗仏教の空の思想へと発展していく。【本文へ】