『マハーバーラタ』は、古代インドのバラタ族の戦争を題材とする叙事詩である。1) サンスクリット語で書かれており、全18巻、10万詩句からなる世界最大の叙事詩である。2) 付録として『ハリ・ヴァンシャ』(ハリの系譜)1巻1万6000詩句がある。伝説は、ヴィヤーサ仙人が3年かけて象の頭の神ガネーシャに書きとらせたとするが、単一の作者によるものではない。紀元前のはるか昔に起こった戦争の物語が語り継がれるうちに、修正され、増補されて、紀元後4世紀ごろ現在の形をとったと考えられる。地方によって異本が多く、内容の異なる伝本が数多くある。現在は、プーナ批判校訂版が定本として用いられる。3)
主題は、バラタ族に属するクル族の王位継承をめぐる18日間の戦争であるが、主題を扱う部分は全編の約5分の1にすぎない。たくさんの伝説が挿話として含まれており、それら挿話の内容は、神話、宗教、哲学、道徳、法律など多様多岐にわたる。古代では単独の文学作品より有名な詩の一部とするほうが広まりやすく、残りやすかったのであろう。多くの作品が挿入、付加され大冊となった。そのため「法(ダルマ)と実利(アルタ)と性愛(カーマ)と解脱について、ここに説かれることは他でも説かれるが、ここに説かれないことは他のどこにも説かれない」(MBh. 1.56.33)といわれる。百科全書のような様相をもつ巨大な書である。
挿話のなかには単独に読まれるものも多く、これらの物語を題材とした文学作品も多い。『ラーマーヤナ』の元になる話も含まれる。有名な挿話は『バガヴァッド・ギーター』『サーヴィトリー物語』『ナラ王物語』である。
1) 「マハーバーラタ」の意味は、本文の説明(Mbh. 1.56.31ab. 上村訳)によれば、「バーラタ(バラタ族の人々)の偉大な(マハット)誕生」(bhāratānāṃ mahaj-janma mahābhāratam ucyate)で、続く詩句(31cd)は「この語源解釈を知る者は、一切の罪悪から解放される」(niruktam asya yo veda sarva-pāpaiḥ pramucyate)とする。これに先行する1.56.12以下の詩節には、『マハーバーラタ』を聞いたり、聞かせたりすることのさまざまな御利益が説かれている。
2) サンスクリット原典からの日本語訳は、上村勝彦訳『マハーバーラタ』ちくま学芸文庫、2002年。まことに残念なことに上村氏は惜しくも2003年1月急逝され、全11巻の予定のうち刊行は第8巻までで未完となった。原典からではないが、英訳からの日本語訳は、山際素男 編訳『マハーバーラタ』(全9巻、三一書房、1991-1998年)がある。あらすじの紹介はいくつかあるが、ヴィンテルニッツ著、中野義照訳『叙事詩とプラーナ』(インド文献史 第2巻、日本印度学会、1965年)に含まれているものが詳しい。一部分の翻訳として、中村了昭 『マハーバーラタの哲学』(平楽寺書店、1998年、2000年)がある。この書が扱うのは『マハーバーラタ』第12巻に含まれる「モークシャダルマ章」である。この章は『マハーバーラタ』の中でも最も哲学的な部分で、思想研究には重要な部分であるが、戦争叙事詩の主題との関連でいえば、いわば挿話の部分である。