原始仏典には、具体的なさまざまな実践徳目が説かれるが、その中で特に強調されるもののひとつが慈悲の心である。たとえば初期の経典『スッタニパータ』149ー151には、慈しみの心をすべての生き物に対して限りなく広げることが説かれる。
「あたかも母がわが子のためなら、命を捨ててもひとり子をまもるように
すべての生き物に対しても無量の(慈しみの)心を起こせ。
また世界中のものに対して無量の慈しみの心を起こせ。
上に向かっても、下に向かっても、四方に向かっても、
こだわりがなく、親しみにみちた、怨みのない(無量の慈しみの心を起こせ。)
立っていても、歩いていても、すわっていても、横になっていても、
眠っているのでなければ、この心づかいをしっかりたもて。
この世においては、これが崇高な境地といわれる。」(Sn. 149-151.)
後には、この慈しみの心に、あわれみの心、喜びの心、平静な心が加えられ、慈・悲・喜・捨の四無量心とされた。
そして、「崇高な境地 (brahmaṃ vihāram, 梵住)」の形容詞として用いられる「崇高な」(brahma)がブラフマー (Brahmā) 、すなわち梵天に通ずることから、当時一般に行われていた梵天信仰とむすびつけられ、天界に生まれ変わることを望む在家信者に対して、これら四つの心を修めることが梵天の世界へいたる道であると説かれた。
大乗仏教では、この慈悲の精神がその思想の核をなす。