3. 般若経

 六波羅蜜のうち、最も尊重されるのが悟りにいたる「智慧の完成」(智慧波羅蜜)である。智慧(prajñā)は音写して「般若(はんにゃ)」ともいわれる。この智慧波羅蜜すなわち般若波羅蜜を称揚する一群の経典が、般若経典である。大乗(mahāyāna)ということばは、般若経典において初めて用いられた。6)

 般若経典の核をなす思想は空の思想である。般若経典の中で最も広く親しまれているのは『般若心経』であろう。その中に現れる有名な文句「色即是空、空即是色」は、いろかたちあるものの本質は空であり、空を本質とするものがいろかたちあるものとして現れることを説く。なぜ、かれらはそのようなことを説くのか。

 般若経典の尊重する智慧とはブッダの智慧である。ブッダはあらゆるものに対する無執着を説いた。あらゆるもののうちにはブッダの教え、すなわち縁起、四諦・八正道、無常・苦・無我、あるいは理想とされる涅槃などの教えも含まれる。したがって、これらの教えにすら心をとめないこと、すなわち「心を空性(空を本質とすること)に落ちつけること」が理想とされる。

 そして、あらゆるものが「空」であり、「差別する様相がないもの」であり、「願い求めるべきものではないこと」を観ずる禅定こそが解脱へいたる道であるとされた(空・無相・無願の三解脱門)。また、大乗仏教における理想的な行為である菩薩の利他行は、この境地においてはじめて成り立つと考えられた。(次節『維摩経』参照)


改訂1998年8月3日 【次へ】【目次へ】


6) 高崎直道「大乗仏教の形成」(『岩波講座東洋思想』第8巻、1988年)183頁。  【本文へ】